2024.03.08
レビュー
ルネ・ラリックはアールヌーボー、アールデコ、二つの時代を代表するアーティストです。繊細なアクセサリーやモダンなガラス作品は現在でも人気が高く、多くの美術館で目にすることができます。
曲線による装飾美に代表されるアールヌーボー。幾何学的な美を良しとするアールデコ。
真逆に近い二つの潮流において、彼がなぜ素晴らしい作品を生み出すことができたのか、その人生と作品を紐解いていきましょう。
1860年、ルネ・ラリックはフランスのシャンパーニュで生まれました。幼少期を緑豊かな地方で過ごし、植物・昆虫といった自然の産物に触れる機会が多かったことは、のちの彼の作風に大きな影響を与えています。
学校に通うようになると、授業のデッサンで一等を獲得したり、象牙板に絵を描いて商人に売り歩くなど、早くからその美的才能を発揮していたようです。
16歳で父を亡くしたラリックは進学を諦め、自らの才能を生かせるであろう宝飾・金細工職人の道を目指しました。
職人に弟子入りし一通りの技術を身に付けると、見識を広げるため、18歳で当時の工業先進国であったイギリスに渡ります。
ロンドン万国博覧会で移築されたクリスタルパレスをはじめ、各地の美術館・博物館を見学するなど、工芸から建築まで幅広い分野で刺激を受け、芸術家としての器を広げました.
2年後フランスへ帰国し22歳で独立、高いデザイン性と技術を評価され、カルティエなどの高級メゾンから仕事を受けるようになります。この時点で既に宝石デザイナーとして一定の成功を収めていたといえるでしょう。
ブランドからの依頼仕事を受けていた当時、アクセサリーの価値はそのデザインではなく、象嵌される宝石の価値で決められていました。このことに満足していなかったラリックは、自身のクリエイティビティを発揮するため、個人的に作品を製作するようになります。
大きく評価されたのが、1987年に発表されたハットピン『ケシ』です。
ケシの花の美しさを讃える、アールヌーボーの流れに沿った作品ですが、人々の目を引いたのは中心にあしらわれたダイヤモンドの集合ではなく、エナメルで作られた花びらに施されている、花脈の繊細な金細工でした。
ラリックはこのデザインを具現化するために、金の地にエナメルを流し込むという、当時あまり使われていなかった七宝の技術を採用しています。
この作品は瞬く間に評判となり、最終的には国がリュクサンブール美術館のために買い上げることになりました。
続いて、ジュエリーデザイナー時代の傑作といわれるブローチ『羽のあるニンフ』を見てみましょう。
女性と他の生物を組み合わせるというキメラ的なモチーフを好んだラリックですが、この作品では、妖精めいた女性と、蝶を思わせる羽を組み合わせ、優美なデザインに落とし込んでいます。
やはり特徴的な翅脈を金細工で表現していますが、ここでは羽を薄く透けさせるために、エナメルを透明化できるプリカジュール技法を採用しました。羽に散りばめられた小さなダイヤモンドは、あくまで全体を引き立てるものとして使用されていることが見てとれます。
ラリックは、価値としては宝石に劣るガラスやエナメルといった材質を、斬新な技術と優れたデザインで使用することにより、これまでになかった新しいアクセサリーを数多く生み出しました。宝飾の世界における伝統的な重い扉を押し開き、前に進めた存在といえるでしょう。
一流デザイナーとして認められたラリックは、女優サラ・ベルナールに舞台用の装飾品を作成するなど、活躍の場を広げました。
著名人や文化人との交流・国際規模の博覧会などを通し、イスラムや日本をはじめとする東洋美術に触れたラリックは、オリエンタリズムを取り入れた作品を発表しています。
ティアラ『リンゴの花』(1901-1902)は、半月型に張り出したリンゴの枝が櫛の部分をぐるりと囲んでおり、日本刀の鍔を思い起こさせる造形です。このデザインは、のちに制作される香水瓶や照明器具にも繰り返し採用されています。
また、整然と宝石が並べられた櫛『四匹のトンボ』(1904-1905)は幾何学的なアールデコの雰囲気を醸し出しており、ネックレス『ベリー』(1903)では、ころんとした実のフォルムを表すために、宝石ではなく、水色の被せガラスを採用しています。
植物や神話、女性といった、従来の詩的なモチーフを基本としたジュエリーを制作する傍ら、ガラスや幾何学的デザインへの関心を深めていきました。
1905年、高級ブランドが立ち並ぶヴァンドーム広場にラリックは自身の店を構えます。45歳にして、装飾品の分野で確固たる地位を築いた彼ですが、この頃から時代の変化と対峙することになりました。
輸送から生産、娯楽面まで、様々な分野において機械化が進むにつれ、人々の関心は装飾性の高いアールヌーボーから、無駄を省いたモダンなデザインに移っていきました。
この流れは女性の装いにも変化を与えます。ポール・ポワレ、シャネルといった新興ブランドが台頭し、コルセットから解放されたシックなファッションが主流となったため、ラリックがこれまで発表してきた芸術品のようなアクセサリーは、それらに合わなくなってしまったのです。
一点物の芸術品を貴族だけが身に着ける時代から、多くの人々が手に取れる時代へ―芸術面においても大衆化の波を感じた彼は、ガラス職人への本格的な転身を選びました。
まず、ガラスは鋳型を使うことにより、ある程度の量産が可能です。
またその性質上、一つずつ複雑な色づけをしなくとも、透化する光の加減で多彩な表現を可能とします。
ラリックは、フロスト加工による擦りガラス・乳白色に光るオパルセングラスなど、ガラス工芸における様々な技術を磨きました。それらを巧みに組み合わせることで、透明・白・七色と変わる独特の表現を生み出し、「量産しながらクオリティを保つ」という困難を解決したのです。
色数を抑えたデザインは、控えめな上品さを良しとするアールデコの美意識とも重なるものでした。
ガラスを選んだ彼に成功をもたらしたのが、当時人気を博していた調香師コティによる、香水瓶デザインの依頼でした。
当時、香水は中産階級の女性でも手にとどく値段で売られるようにはなりましたが、味気ない瓶に詰められ、店頭に並んでいることが殆どでした。そこでラリックが考えたのが、中身の香りをイメージできるエレガントな香水瓶『レフルール』(1908)です。
ガラス瓶に花の妖精のレリーフが型押しされており、瓶の中に閉じ込められた花の香りを想像させます。ストッパー部分にも多面カットが施され、瓶に触れてみたいという女性の心を刺激し、瞬く間に評判を呼びました。
その後も多数の依頼を受け、妖精やすずらんといった愛らしいモチーフを使用し、洒落た香水瓶を数多く発表、「ガラスの魔術師」と呼ばれるようになりました。
その後も時計や化粧道具、灰皿からテーブルウェアまで、美しくデザインされた日用品を次々に生み出したラリックですが、ここでは特に、時代の変化に関連する作品を紹介しましょう。
一つは、車のボンネットを演出するカーマスコットです。
自動車が普及し、個人がそれぞれの車を所有するようになると、ラリックは『彗星』(1925)をはじめ、馬のたてがみ・羽を広げた昆虫・女性の髪といった動きのあるモチーフを直線的にデザインしカーマスコットとして生産、時代のスピード感を表現しました。
もう一つ、人々の生活を大きく変えたのが照明です。
電気が発明され、家庭の明かりもろうそくから白色電球に変わってゆきました。そこでラリックが新たに手掛けたのが照明器具です。
ぼんやりと光を通すガラスは照明と非常に相性が良く、複雑な模様を見事に表現した常夜灯『二羽の孔雀』(1920)や、たわわに実る樹木・北斎の影響を受けた躍動的なツバメなど、さまざまな意匠を浮かべた常夜灯が発表されています。
再び高い評価を得たラリックは、60歳でアールデコ博覧会ガラス部門責任者の依頼を受け、空間演出を手掛けることになりました。
車や飛行機、映画といった新しい発明が次々に登場した時代。展覧会でもそれらを中心にした展示物が数多く出品されました。中でもラリックが手掛けたガラスの噴水塔『フランスの源水』(1925)は、展覧会を象徴する大きな目玉となります。
会場を貫く目抜き通りの終着点、アンヴァリッド広場の中央に建てられた塔は、16段に積み上げられたガラスの女神像で構成されていました。祈りを捧げる像はよく見ると一体ずつ、違ったデザインが施されています。
高さ15メートルの頂点から水が吹き上げられ、放物線を描くさまはそれだけでも人々を嘆息させましたが、圧巻なのは夜を迎えてからの姿でした。
内部に仕掛けられた照明が吹き上げる水を照らして光の雨を作り、その幻想的な光景は、訪れた人々の心に強く印象付けられたといわれています。
もう一つ、空間演出の仕事として有名なのが『コートダジュール・ブルマン・エクスプレス』の内装デザイン(1928)です。
車内に入ると、ガラスプレートが嵌め込まれたマホガニーの扉が旅客を迎えます。光を受けると、葡萄と人物といった古典的なモチーフがやわらかく浮かび上がり、豪華列車の旅を演出しました。
天井から吊るされたランプシェードや化粧室のガラス作品もラリックの手によるものであり、その絢爛ぶりは異国に向かう人々の心を高揚させたといわれています。
晩年まで精力的に活動したラリックですが、アールヌーボー時代からアールデコのエッセンスを取り入れていたり、アールデコの時代に古典的なモチーフを使用していることがわかります。
彼の作品が、流行に乗って生まれたものではなく、自身の内面から生まれたものであることを証明しているように感じられないでしょうか。
アールヌーボーの、自然から生まれる曲線や豊かな色彩。アールデコの、幾何学的でシックな紋様の美しさ。両者の魅力をよく理解し、必要に応じて最適なデザインを考えることができる美意識が、ラリックの魅力であるように感じます。
また、そのデザインを現実のものにするために、新しい技術を研究し続ける姿勢も彼の大きな武器でした。
洗練されたセンスと技術力を持ち合わせ、時代の変化に応じた作品を作り出すことができたラリック。今回の図録では、アクセサリーから室内装飾まで、二つの時代に生まれた多彩な作品が一冊にまとめられています。古びることのない深い輝きを、ぜひ味わってください。