スタッフブログBlog

2024.06.09

レビュー

豊かな色彩『図録 エリック・カール展』

 

 

『はらぺこあおむし』で世界中の子どもたちに親しまれている絵本作家、

エリック・カール。

 

その名前を聞けば、誰もがあの鮮やかな色のイラストを、

頭の中に思い描けるのではないでしょうか。

 

近年では神奈川県二子玉川に体験型施設「PLAY!PARK ERIC CARLE」がオープンするなど、日本でも高い人気を誇っています。

 

一目で見る側に強い印象を残す、豊かな色彩に込められた思いを紐解いていきましょう。

 

 

 


 

〈色彩感覚のルーツ~フランツ・マルクの衝撃~〉

 

 

エリック・カールは1929年、アメリカのニューヨーク州シラキュースで、ドイツ人の両親のもとに生まれました。

幼稚園で楽しく過ごし、週末は家族で散歩に出かけ、自然と戯れ、絵を描いて…と、充実した幼年時代を送ります。

 

ところが彼が6歳のとき、一家はドイツに移住。明るかった生活は一転します。

第二次世界大戦中のドイツでは、国民に対する抑圧がさまざまな面で蔓延していました。

間違えると体罰を受ける厳しい学校教育、建物のトーンがグレーやベージュに制限された町…まるで、色彩が失われたような状況だったと、のちに彼は語っています。

 

 

ナチスによる統制は芸術方面にも及んでおり、当時の政権にそぐわないと見なされた作品は「退廃芸術」とレッテルを貼られ、見ることすら禁じられていました。

しかしエリックが12歳のとき、彼の絵に対する才能と情熱に気づいた美術教師から、マティスやピカソといった前衛画家たちの作品を隠れて見せてもらいます。色彩豊かで自由な作品に、彼の心は大きく動かされました。

 

 

特に強い影響を与えたのが、フランツ・マルクの作品です。

青い馬や黄色い牛、水玉模様のロバといった、実際ではあり得ない色で描かれた作品は「間違った色、正しい色などというものはない」という、エリック・カールの土台を形成したのです。

 

 


 

〈コラージュ手法の確立〉 

第1作『くまさん くまさん なにみてるの?』

 

絵の道を志したエリックは16歳でシュトゥットガルト州立芸術アカデミーに入学。卒業後はドイツでグラフィックデザイナーとして働きはじめます。しかし、自由の国アメリカへの希望は消えず、22歳で生まれ故郷のニューヨークへ渡米。ニューヨーク・タイムズのグラフィックデザイナーとして就職し、商業広告を手がけるようになりました。

 

 

広告作成にあたりエリックは、版画やドローイングなど、さまざまな手法を試しました。そのうちの一つが、のちの彼の代名詞となる「コラージュ」だったのです。コラージュとは、端的に言えば切り絵のことなのですが、このときのエリックとしては、美術学校で学んだ技法の一つに過ぎませんでした。

しかしある日、エリックが作成したロブスターのコラージュ広告を目にした作家、ビル・マーチンから絵本のイラストを頼まれ、彼の人生は大きく変わりました。

 

 

1作目となる絵本、『くまさん くまさん なにみてるの?』をみてみましょう。

「なにみてるの?」という問いかけがリズムよく繰り返され、ページをめくるたびにカラフルな絵が現れます。

 

 

このときのコラージュは市販の紙に着彩した紙を使用したものですが、ポスターのように一枚で成立する力をもったイラストと、シンプルなテキストは、とても相性が良いものでした。

明快な色と、大胆なフォルムを生み出すことができるコラージュ。それは一目見ただけで強い印象を残し、読者である子どもたちにも受け入れられました。

絵本がもつクリエイティブな力にやりがいを見いだしたエリックは、絵本作家として生きることを目指します。

 


 

〈独自性の確立〉

第2作『1、2、3どうぶつえん』

 

2作目の『1、2、3どうぶつえん』では、テーマ選定からイラストまで、エリック自身が手がけました。

イラストについては、より高いクオリティを求め、コラージュに使用する紙を自作するようになります。

 

筆やスポンジなど、様々な道具から生まれたタッチを残し、濃淡のニュアンスに富んだカラフルな紙は、まさに色の洪水のようでした。これらを使ったビビットな色彩はエリックの代名詞となり、独自の画風を確立してゆきます。

話のテーマは、数のかぞえ方を選びました。ページをめくるごとに、1、2、3と、動物が増えてゆくのです。

 

 

その後も『げつようびは なに たべる?』『やどかりの おひっこし』など、数や曜日、月や時間といった、生活上の概念を扱った絵本をエリックは数多く出版しています。

 

 

これには理由がありました。ドイツで過ごした少年時代、間違えると手を叩かれるなど、厳しい教育を経験したエリックは、これからの子どもたちには、楽しく、自由に学んでほしいと考えていたのです。

彼の願いが込められた絵本は、幼年期から学齢期に移る子どもたちの架け橋になると同時に、エリック自身の心の癒しにもなったようです。

 

 

 


 

〈仕掛け絵本の名手〉

第3作『はらぺこあおむし』

 

3作目、彼は世界的なベストセラーを生み出しました。

さなぎから蝶になるというドラマチックなストーリーと、あおむしが食べ物をかじった穴をページに実際に空けるというアイデアから生まれたのが、傑作『はらぺこあおむし』です。

 

 

穴の部分に指を入れられたり、紙のサイズが大きくなっていくなど、ページをめくる楽しみが絵本全体に仕掛けられています。

美しい絵を堪能しながら、いつのまにか曜日や数字などの知識を覚えてしまう、エリック・カール作品の要素が結実した名作といえるでしょう。

 

その後もエリックは、少年時代から親しんだ「生き物」や「自然」をモチーフとした仕掛け絵本を数多く発表します。

『くもさん おへんじどうしたの』では、くもが巣を張るという「仕事」をテーマに、くもが張った糸の部分を厚みをかけて印刷し、読者がその部分に触れて楽しむことができる仕様を作りました。

 

 

『だんまりこおろぎ』では、「仲間を探す」ことをテーマに、最後のページをめくると、仲間を見つけて嬉しがるこおろぎの鳴き声が鳴るしかけが施されています。

 

 

『とうさんはタツノオトシゴ』では、美しい虹色のタツノオトシゴを主人公に、透明シートを利用して、海の生き物の生態がやさしく紹介されています。

 

 

夜空の青が印象的な『パパ お月さま とって!』では、自分の娘から実際にそう頼まれたエピソードを想像力で膨らませ、はしごをかけて月まで登るストーリーを生み出しました。

さまざまな形式で折り畳まれたページを開くと画面が展開し、月までの遠さや月の大きさが伝わってくるような、ユニークな構成で成立しています。

 

 

実際にこれらの絵本を読んでみると、エリックが仕掛けありきで創作していた訳ではなく、まずはテーマがあり、それを分かりやすく伝えるために、美しい絵にさまざまな趣向を凝らしていたことが実感できるでしょう。

 


 

〈アートとしての絵本〉

 

読者を驚かせる、楽しませることに長けたエリック・カールですが、同時に、芸術を愛するアーティストとしての一面も強く持っていました。

「絵を描く」こと自体にフォーカスした作品『えを かく かく かく』は、先に述べたフランツ・マルクへのオマージュです。

青い馬・緑のライオン・オレンジ色の象といった、常識に囚われない大胆な色彩の動物たちはダイナミックな迫力があり、自由に絵を描く喜びが伝わってくるようです。

 

 

また、著名な音楽家を数多く輩出したドイツで青年期を過ごした彼にとって、「音楽」も創作活動における重要な位置を占めていました。

『うたがみえる きこえるよ』には、テキストが一切ありません。バイオリニストの「演奏」という、形がないものの表現に、イラストのみで挑戦しました。

 

 

抽象的な美しい絵からは、エリック同様音楽を愛好し、それを絵画で表現、豊かな色彩を操った画家、パウル・クレーからの影響が感じられます。

 


 

〈絵本を越えて〉

 

 

1990年代後半からは、絵本の枠を越えた創作活動にも取り組みました。

廃材のプラスチックや金属に着色した作品、コラージュの紙を台紙に貼りつけ、紙そのものを見せる作品からは、彼の色彩センスをダイレクトに感じることができます。

 

 

2001年にはモーツァルトのオペラ「魔笛」に対し、カラフルな衣装と舞台装置を発表。2016年から2017年にかけては、パウル・クレーの「天使」シリーズに触発された作品を発表しています。

 

 

2021年5月、エリック・カールは91歳でその生涯を終えますが、彼の作品は今もなお、世界中で愛され続けています。

 

 

 


 

〈まとめ〉

 

明るく分かりやすい画風ゆえ、アメリカの印象が強いアーティストですが、作品を振り返ってみると、ヨーロッパの画家からの影響を強く受けていることが分かります。

瑞々しい緑、鮮やかなオレンジ、深い青…目が覚めるような美しい色と、それを自由に使いこなす感性は、それを封じられた経験があるからこそ、生まれたものなのかもしれません。

 

 

本書では多数の絵本イラストのほか、高い技術がうかがえる素描やデッサン、影響を受けた画家など、エリック・カールを構成するさまざまな要素を知ることができます。

本書自体も表紙タイトルに穴あき加工が施されており、カラフルなエンドペイパーが挟まれていたりと、エリック・カールに対する愛情が感じられる製本です。

色彩が人の心に与える力や、童心を忘れない遊び心を、大人になった今こそ味わってみてはいかがでしょうか。