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2024.09.13

レビュー

図録 安野光雅の絵本展

 

昨今、「STEAM教育」という言葉を耳にするようになりました。

科学・技術・数学・工学といった理数分野に「芸術」を融合させ、創造性や問題解決力を身につけさせることを目的としたものですが、このような言葉が生まれる数十年前の日本で、それを実践していた画家が存在しました。

安野光雅。

彼が生み出した作品は国内外問わず高い評価を得ており、国際的な賞も多数受賞しています。幼少期、彼が作った絵本を目にしたことがある人も多いでしょう。

しかし、それらは子どもだけに向けられたものではありません。むしろ、知識や常識を身につけ、日常生活のなかで「驚く」ということが少なくなった大人にこそ、響くものがあるかもしれません。

作品の中に散りばめられた思想やアイデアを、じっくり堪能していきましょう。

 


不思議な世界

 

小学校の教員として働きながら、様々な創作活動を続けていた安野光雅ですが、42才になる頃、福音館書店に勤める松居直に見いだされ、本格的に絵本の世界へ足を踏み入れます。

満を持して出版されたデビュー作『ふしぎなえ』は、三次元では存在しえない不思議な状況を描いた、字のない絵本です。

ページの中では「こうあるべき」という常識から解き放たれ、上下はいつのまにかさかさまに、裏も表も区別できない、奇想の世界が広がります。

版画家エッシャーによる「だまし絵」に感銘を受けて作られた作品ですが、そのエッセンスをただ借りただけのものではありません。

 

影響を受けた画家として、パウル・クレー、セガンティーニといった名前を挙げる美的センスも彼の持ち味であり、それによって身につけられた詩的でメルヘンチックなイラストが、読む側を自然と不思議な世界へ誘い、作品を独特なものにしています。

一見ふつうに見えながら、よく見えると何かがおかしい…というこの絵本は、読者に新鮮な驚きを与え、世界各国で翻訳・出版されることになりました。

『ふしぎな絵』で成功を収めた彼は、同じく立体と平面のあわいを行き来する『ふしぎなさーかす』、さがし絵を扱った『もりのえほん』、円筒鏡を利用したアナモルフォーシスで遊ぶ『魔法使いのABC』など、読者の知的好奇心をくすぐる絵本を次々に生み出していきました。

 


答えを教えない

 

『ABCの本 へそまがりのアルファベット』では、見慣れたはずのアルファベットが木でできたオブジェとして存在し、蝶番や釘で打ちつけられたり、鏡で半面を写したりと、さまざまな手法で表現されています。

それだけでも面白いのですが、著者はさらに、文字の隣に絵を並べました。

Aではアイロンを、Mでは地図(MAP)を…と、同じ頭文字をもつ物体を選んでいます。

そのイラストの緻密さもさることながら、物体の名前を下に書いたりはしていません。

この「答えを教えない」という姿勢は、彼の他の著作にも共通しています。

その物体の名前を知らなければ、子どもたちは「なぜこの絵が隣に並んでいるのか」という疑問をもち、傍にいる大人に、「これはなに?」と質問するでしょう。

「理解するということは、自分の言葉でそれを説明できることである」という言葉を残している、彼らしさがよく感じられる作品です。

 


論理の美しさ

 

言葉で説明しがたい世界の表現を得意とする一方で、「数学」という論理の世界もまた、彼が強い関心を抱いた分野でした。

数学を専門として修めたわけではありませんが、学生時代に「三角形の内角の和は180度である」ことに強く感動したというエピソードが示すように、数や形がもつ美しさに対し、鋭い感覚を持ち合わせていました。

森毅などの数学者と知己を得た作者は、彼らの協力を仰ぎ、「美しい数学」シリーズを上梓します。

『10人のゆかいなひっこし』では、一つの家に住む10人の子どもが、ひとりずつ隣の空き家に引っ越していくさまが、かわいらしい絵柄で描かれています。

文章も数字も書かれていませんが、「10-1=9」「10-2=8」…という計算式を使わないことにより、幼い子供でも感覚的に「数」という概念を理解できるしくみです。

 

こちらも好評を博し、累乗を扱った『壺の中』、論理学の基礎を描いた『赤いぼうし』など、数学の面白さにやさしく触れられる作品を手掛けていきました。

 


数値化できないもの

 

「美しい数学」シリーズの最後を飾る『ふしぎなたね』は、タネをもらった男の話です。

1つのタネを植えると翌年2倍に、2つのタネを植えると翌年4倍に…という数学的要素を扱った絵本ですが、この作品では、ひとりの男が結婚し、子を持ち、商売を覚え、豊かになり…という物語が並行して描かれています。

物語は、台風に遭い、やり直すにあたり、家族が畑で豊穣を願う姿で終わります。この構図はミレーの『晩鐘』からのオマージュであり、読者に深く、静かな感動を与えます。

数学を扱った作品の中で、「願い」という数値化できないものの存在についてそっと語りかける、安野光雅の真骨頂がうかがえる作品です。

科学についての作品も紹介しておきましょう。

『おおきなもののすきなおうさま』は、とにかく大きなものが大好き。大きなベッド・大きなチョコレートと、家来たちに、次々に大きなものをつくらせます。

ユーモラスかつ滑稽な物語を展開しながら、最後、王さまは大きなチューリップを作らせようとします。

大きな鉢を用意させたものの、中に咲いたのは、ぽつんと小さなチューリップ。しかしそれが、なんと美しく、かけがえのないものか。

人間はものを作ることはできても、命そのものをつくることはできない…という摂理を、言葉を使うことなく、こちらに教えてくれます。

 


自分の頭で考える

 

数学や科学、はては人間そのものについて深い洞察を示す、安野光雅の思想がよく表れているのが『天動説の絵本』です。

わたしたちは、地球が太陽の周りを回っていることを知っています。しかしそれは、理科の授業で教えられたことです。自分の頭で考え、確かめ、たどり着いたことではありません。たいていの場合、「知識」として知っているだけです。

この絵本では、今では間違っていたと証明されている、天動説の時代に生きた人々のくらしぶりや、地動説に辿りつくまでの移り変わりが描かれています。

天動説を信じる世界は、古代のタペストリーを思わせる褪色で描かれており、平凡で平和なその姿は、愚かなもの、野蛮なものとして描かれてはいません。

それでも「動いているのは太陽ではなく、地球なのだ」と地動説を唱えた人々は「意見が違う」、ただそれだけのことで、処刑されてしまったのです。

絵本のほかに、エッセイなども数多く出版している著者ですが、その中でくりかえし、「自分の頭で考えること」の重要性をうったえています。

子どもたちを教え導く「教員」という仕事についていたこと、また、戦争を経験したことが、大きな要因なのかもしれません。

人間も、国も、自分の頭で冷静に考えることを放棄したとき、悲しい方向へ向かってしまうということが、声高にではなく、落ち着いた筆致で冷静に描かれています。

 


古典に学ぶ

 

彼の仕事としてもう一つ大きな要素を占めるのが、古典の再構築です。

三国志やシェイクスピアなど、海外の名作を多く手がけましたが、ここでは「平家物語」を軸にした『繪本 平家物語』を例に挙げます。

一見して、「絵がいつもと違う」と感じられるでしょう。「祇園精舎」から「女院死去」まで、厳選した79の場面すべてが、紙でなく絹地に、墨・岩絵の具・金泥などを用いて、日本画風に描かれています。

「自分の目で見る」ことを重要視した彼は、京都から壇ノ浦、倶利伽羅谷まで、舞台となった土地に実際に足を運んだため、制作には7年の月日を要しましたが、気候や土地の起伏を味わうことで、頭の中で納得がいく風景を思い描くことができたのでしょう。

平家一族の、栄華を極めた豪華絢爛な場面から、滅亡する壇ノ浦の悲劇まで、俯瞰の構図で描かれることで、感情を抑えた表現が貫かれています。

制作の経緯については作品のあとがきで詳しく述べられていますが、自身の戦争体験が元になっているようです。

栄華を極めた平家も、戦で八面六臂の活躍をした義経も、その終わり方を考えると、人生の上がり下がりは最終的に調整される、という結論に達しています。

日本も複数の戦争を経験し、当初は勝利をおさめながらも、やがて力を失い、最終的には大きな敗北を味わいました。

10代で徴兵され、悲惨な光景を目のあたりにした経験がある作者だからこそ、「強者必衰」「諸行無常」という言葉で表されるこの物語と、戦の空しさを描きたいと感じたのかもしれません。

 


 

今回は、画集に掲載されている代表的な作品を挙げましたが、安野光雅はこの他にも、各国の文化や歴史を細密に描いた「旅の絵本」など、幅広い分野で活躍を見せています。

淡い色彩で描かれた絵は一見、穏やかでやさしく見えます。しかしその絵の中には、彼の創意工夫が隠れています。説明や言葉が少ないだけに、読む側の姿勢や年齢によって、得られるものは違ってくるでしょう。

言葉を使わない作品を数多く生み出した作者ですが、随筆やインタビューなどでは、自身の考えをくりかえし述べています。

知っていることと理解することは違う、「本に書いてあったから」「誰かがそう言っていたから」と、大事な判断を他の人の頭に任せてはいけない…など、生き方そのものについて、強い信念を持っていたことがうかがえます。

今の時代、インターネットで検索すれば答えを得ることは簡単になりました。忙しい日々を送るうち、効率的に知識を得ること、早く答えを得ることの便利さを、わたしたちは知ってしまっています。

安野光雅の作品は、日常から離れた世界に対する驚きや、答えを見つけたときの喜びを味あわせてくれたり、ああでもない、こうでもないと思考する時間の尊さを、押しつけがましくなく気づかせてくれます。空想・数学・物語と、幅広い分野の中から、興味をひかれた作品を、手に取ってみてはいかがでしょうか。