スタッフブログBlog

2025.01.12

レビュー

図録 杉浦非水 都市生活のデザイナー

                            

街中でふと目に留まり、読み込んでしまったポスターや、

物語の世界へぐっと惹きこんでくれる本の装丁、

思わずパケ買いしてしまうグッズ…。

私たちの生活は、グラフィックデザインであふれています。

                         

私たちが当たり前に目にするグラフィックデザインの礎は、明治から昭和初期にかけて、

激動の時代を生きた先駆者たちによって築かれたものです。

 

今回の記事は、長い泰平の眠りから覚めるや否や、

政治、文化、思想のすべてがガラリと急速な変革をおこし、

近代国家への奇跡的な飛躍を遂げた時代に、グラフィックデザイナーという新たな職業の

道を切り開いた一人の図案家・杉浦非水(1876〜1965)について紹介していきます。

                                                                                                               


グラフィックデザイナー・杉浦非水

                 

杉浦非水’s PROFILE

生涯:明治9年(1876)~昭和40年(1965)

出身:愛媛県松山市

本名:杉浦朝武(つとむ)

職業:図案家(グラフィックデザイナー)、教育家

明治から昭和にかけて活躍した日本のグラフィックデザインの第一人者。企業広告やポスター、装丁などを多数手がけ、モダンデザインのパイオニアとして活躍した。

 

表紙装幀は他芸術の如く、単独に存在すべきものではない。

杉浦非水「表紙図案に就て」『美術新報』第11巻第7号、1912年

 

グラフィックデザイナーとは、パンフレットや書籍の装丁、雑誌の広告、商品のパッケージなど、主に印刷メディアのデザインを手がける職業です。一般的には、広告制作会社や広告代理店、デザイン事務所、企業の広報部や商品開発部などが活躍の場となります。

そんな現代の商業広告には欠かせないグラフィックデザイナーという職業ですが、明治から大正にかけての時代は、まだまだ画家が片手間に行うもの、もしくは印刷所の版下工の仕事である、という認識が強い時代。当時、「デザイン」という言葉自体がまだ世の中に浸透しておらず、当然ながら「グラフィックデザイン」という分野も存在しませんでした。広告やカタログ、パッケージは「商業美術」という区分で語られ、それらに使用される模様や装飾、図版は、「図案」と呼ばれていました。

まさに日本におけるグラフィックデザインの黎明期。

杉浦非水は芸術と商業デザインの間で葛藤しながらも、「芸術性を保持しながら、クライアントの要求を汲んで、内容(本文)に沿った図案を作るべきだ」といち早く「デザイナー」としての理念を掲げました。そして、グラフィックデザインを職業として確立するという大きな功績を残したのです。

 


非水、図案との出会い

 

先生のトランクの蓋を開けることは、

私にとつては宝庫の扉を開くに等しかった。

杉浦非水「自伝六十年(五)黒田邸寄寓時代」『広告界』第12巻5号、1935年

 

非水が図案家としての道を歩み始めるきっかけは、明治33年(1900)のパリ万博を視察した洋画家・黒田清輝が持ち帰ったトランクの中にありました。トランクに入っていたのは、当時ヨーロッパ全土で流行した装飾様式「アール・ヌーヴォー」の印刷物や参考資料の数々。非水はこの出会いによって、当時目指していた日本画家の道から「断然図案の方面に進出して行かう」と思うほどの衝撃を受けました。

この運命的な出会いが、非水をデザイナーへの道へと導いたのです。

ちなみに、アール・ヌーヴォーとは19世紀末から20世紀初頭にかけて広まった国際的な美術運動で、グラフィックデザインのみならず、建築、絵画、工芸といった幅広い分野で流行しました。花や植物など有機的なモチーフや自由曲線を用いた様式にとらわれない装飾性を特徴とします。特にデザインの分野ではポスターが注目され、アルフォンス・ミュシャやアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックといった著名な画家が活躍しました。

実はこの様式の誕生に影響を与えたのが日本の美術だったりします。それが今度は日本に逆輸入されて日本の美術家に衝撃を与えたというのは面白いポイントですね。そう考えると日本画を勉強していた非水がしっくり来たのもうなずけるかも…。


非水と三越「三越の非水か 非水の三越か」

 

一般の人々が望んでいる所の華やかで美しいもので新しい、

生命のある図案の作られる必要がある

杉浦非水「図案に就ての雑感」『美術旬方』第151号、1913年

 

明治41年(1908)、図案家としての道を歩み始めた非水は三越呉服店(現 三越)に夜間勤務嘱託として入店しました。大阪での内国勧業博覧会誌の仕事、島根県での教職を経て、東京中央新聞社に籍を置きながらの入店です。

明治から大正にかけて、ハイカラで最先端な空間だった百貨店。特に三越呉服店は、呉服店から近代的百貨店への舵を大きく切り、日本発の「デパートメントストア宣言」を掲げました。店内には欧米のデパートを参考に食堂・写真室・イルミネーションなどを設置し、次々と新しいことを始める革新的な百貨店でした。

広告戦略にも注力していた三越は、新しい広告宣伝の形を模索すべく、図案家としてはまだ駆け出しだった非水を抜擢しました。新設された図案部の初代主任に任命された非水は、営業用PR誌『みつこしタイムス』と『三越』の表紙を毎月2枚手がけるほか、ポスターやパッケージ、ノベルティに至るまで一手にデザインを担当し、店舗のブランドイメージを作り上げました。

 

非水が生み出すデザインは、絶妙な和洋混交によるモダンで洗練されたスタイルで、そのインパクトは新鮮かつ強烈。その結果、いつの頃からか「三越の非水か、非水の三越か」とささやかれるようになりました。

以後、昭和9年(1934年)に退職するまでの27年間、非水は明治、大正、昭和という3つの時代を通じて三越の看板デザイナーとして活躍しました。この非水の一連の仕事は、近代日本におけるブランディングの最初の成功例として高く評価されています。

 


杉浦非水の仕事

非水は、三越での活動を主軸に据えてはいるものの、あくまで三越の“正社員”ではなく、“嘱託”の身分を貫きました。そのため、三越以外の他企業のデザインや相当な数の装丁・雑誌表紙などを手掛けています。

ここからは図案家・杉浦非水の仕事の一端を紹介します。

 

⚫︎本の装丁

明治45年(1912)に開催された「書籍装幀雑誌図案展覧会」では、非水がデザインした書籍装幀と雑誌表紙約200点が展示されました。この展覧会は、図案に関する日本初の個展とされます。

非水が手掛けた数々の仕事の中に本の「装丁(ブックデザイン)」があります。装丁とは、外箱や表紙など、本の外側の装いを仕立てること、デザインすることを指します。

明治から大正にかけて、日本では和装本から洋装本への移行が急速に進み、新しい書籍文化が興隆していました。この時代、本の装丁や雑誌の表紙は、画家たちの新たな表現の場であり、個性を発揮する貴重な機会でもありました。

非水もまた、この流れの中で多くの美しい装丁を手がけ、図案家としてのキャリアを積んでいきました。

 

⚫︎図案集の刊行

非水は大正4年(1915)から自身の名前を冠した図案集を立て続けに発表し、同15年までに7作品8冊を世に送りました。三越呉服店のデザイナーとして人気と地位を確立した非水が、企業の枠を超えて自身のスタイルを広く発信し、「デザイン」を独立した分野として確立しようとした試みの一環でした。

この図案集の刊行は、非水にとっての一つの節目といえるものでした。人気の絶頂でそれまでのデザインの仕事を総括し、かたわらで植物図集『非水百花譜』の制作に取り組み、永年の夢だったヨーロッパ遊学も実現させていきます。これらの活動は、デザイナー・杉浦非水、40代の総決算といえるものでしょう。

⚫︎広告の仕事

(表紙にもなっている《東洋唯一の地下鉄道 上野浅草間開通》の写真)

《東洋唯一の地下鉄道 上野浅草間開通》1927年 愛媛県美術館蔵

電灯がともされた明るい地下ホームで大勢の人々が、ヘッドライトを照らしてやってくる列車を待っています。昭和2年(1920)12月30日、アジア初の地下鉄が上野ー浅草間に開業しました(現 東京メトロ、銀座線)。このセンセーショナルなニュースを伝えるポスターは、非水の代表作として知られています。

大正11年(1932)、46歳にして初めてのヨーロッパ遊学を果たした後の非水のポスターにはその経験が強く反映されています。それまでの優美なスタイルから、アール・デコ様式を取り込んだ、より明快で力強さを備えたものへと変わり、モダン都市の活気と洗練を鮮烈に表現しました。

⚫︎デザインの普及・教育

50代を迎える頃、非水は次世代のデザイナーたちが台頭してきたことを受け、制作の第一線から教育者としての役割へと自然に移行していきました。彼は国内初の図案研究団体「七人社」を結成し、デザインの普及と発展に尽力しました。

さらに、晩年には多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)の創設に関わり、初代校長として美術教育に情熱を注ぎました。これにより、非水は単に優れたデザイナーに留まらず、日本のグラフィックデザインを教育を通じて未来へとつなぐ重要な役割を果たしました。

非水の活動は、日本におけるグラフィックデザインの基盤を築いた原点といえるものであり、その功績は今なお語り継がれています。

 


 

日本のグラフィックデザインの黎明期に商業美術の発展に大きく貢献し、グラフィックデザイナーという新しい道を切り開いていった杉浦非水についてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか。彼の残した功績は、まだまだ語り切れていませんが、新しい生活様式への好奇心を掻き立て、都市を彩った非水のデザインに少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。

当店で取り扱っている図録『杉浦非水 都市生活のデザイナー』は2000年に東京国立近代美術館で開かれた展覧会の図録です。先ほど紹介した《東洋唯一の地下鉄道 上野浅草間開通》がトレードマークの本書は、三越のPR誌『みつこしタイムス』と『三越』の表紙、多彩なポスターの数々、デザイン研究誌『アフィッシュ』をはじめとする非水の作品群を収録。ずしっと見ごたえのあるボリューム満点の一冊です。

杉浦非水についてもっとよく知りたいけど、専門書はハードルが高い…という人にはこの図録がおススメです。まずはパラパラと写真を眺めて、お気に入りの作品を探してみてください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!