2025.05.29
レビュー
2025年、「ルノワール×セザンヌ モダンを拓いた2人の巨匠」
「オルセー美術館所蔵 印象派 室内をめぐる物語」など、
印象派をはじめとする西洋美術展が数多く開催されます。
19世紀後半、イギリスの産業革命やフランス革命を経たヨーロッパは、
様々な分野で劇的な変化を遂げていました。
アートという観点においても、宗教や王侯貴族からの解放による
自由なテーマ選び・交通網の発達による「自然」の発見・
それと相対する都市の生活・カメラの発明による絵画の存在意義への再考など、
大きな変革の時代だったといえるでしょう。
さて、そこから生まれた作品には様々な女性が描かれているのですが、
彼女たちが纏う「衣装」について注目したことはあるでしょうか?
時代の変化は、人々の生活、ひいては服装にも大きな変革をもたらしています。
今回は、18世紀末から20世紀初頭までを中心に、
女性のファッションを振り返ってゆきます。
さまざまに変化するドレスや装いに、時代の息吹を感じてみてください。
産業革命が服飾文化に与えた影響として、紡績機の発明による、生産力の向上が挙げられます。また、「ファッションポートレート」と呼ばれる、今でいうファッション雑誌が生まれ、流行の伝達速度、および範囲が飛躍的に上がりました。
そんな時代背景を踏まえたうえで、1860年代、当時のファッションリーダーであったウージェニー王妃のイブニングドレスをみてみましょう。
まず目を引くのが、腰からふわりと広がるスカートのシルエットです。鯨の髭や針金を使用した「クリノリン」という骨組みを生地の下に仕込むことで、このような形を保っています。
肘にかけられた黒いレースショールは何百ものボビン(糸巻き)を使用した手編みのレースで、複雑な花模様が編みこまれています。
これらの衣装は高い技術をもつ職人によって製作されたものですが、製鉄技術の向上により、クリノリンのフープは大量生産が可能になり、レースは機械編みにすることで安く手に入れられるようになりました。
女性たちは様々な手段で流行のシルエットを知り、品質は違ったとしても、それをなぞった服に身を包む喜びを知ることになります。
もう一つ、絵画と女性のドレスに大きな影響を与えたのが、交通網の発達です。
フランス中心から郊外に向けて鉄道が整備されると、パリの人々は週末に、バカンスを楽しむようになりました。特に人気だったのが、グランドジャット島・ノルマンディー・アルジャントゥイユなどの避暑地です。
太陽の光が生み出す自然な陰影、絶えず動く水面の輝きといった瞬間の美しさは、スーラ・シスレーら風景画家たちの創作意欲を刺激し、多くの名画が生まれています。
陽射しの下を歩くようになった女性たちは、薄く軽いモスリン生地を使ったアフタヌーンドレスを身につけるようになりました。
次々に生産される流行の商品を販売するために生まれたのが、百貨店です。
1982年に誕生した世界初のデパート「ボン・マルシェ」には、上流階級の女性たちがこぞって訪れました。それぞれ趣向を凝らしたファッションに身を包み、街を歩く彼女たちの姿は「パリジェンヌ」と呼ばれるようになります。
ここで、「印象派の父」と呼ばれるエドゥアール・マネに登場してもらいましょう。
『ベンチにて』では、ふわりと付着するパステルの粉で、おしろいを薄くはたいた肌を表現しながら、木漏れ日の光が女性に投げかける、瞬間的な美しさを切り取っています。
当時流行していた小さな帽子とシックな上着はブラウンで統一されており、モデルである女性が都会的なパリジェンヌであり、洗練されたセンスをうかがい知ることができます。
19世紀後半に入る頃、先述のクリノリンは過剰化し、広がった裾に火が燃え移るなどの問題が発生するようになりました。
そこで生まれたのが、後ろ腰に腰当を入れたバッスルスタイルです。
ルージュロン『鏡の前の装い』をみてみましょう。
バラの刺繍が美しいピンク色のドレスに、ボリュームをもたせたバッスルが目を引きます。
バッスルスタイルへの変化は、日常的な装いには実用性も必要であるという考えが広まった結果といえるでしょう。
1858年、シャルル・フレデリック・ウォルトがパリに高級仕立て屋を披きます。
予めデザインを用意しておき、客の体型に合わせて服を仕立てるという、デザイナー主導のシステム「オートクチュール」の誕生です。
デパートとの差別化を図った服は人気を博し、王侯貴族をはじめとする富裕層の顧客を得るようになりました。そんな、職人による手仕事を愛したのが、仕立て屋とお針子を両親にもつ画家、ルノワールです。
代表作『レースの帽子の少女』では、少女の幸福に満ちた表情が柔らかな筆致で描かれており、レースのひだ飾りの描写からは、細かい職人仕事を描く喜びが伝わってくるようです。
もう一つ、当時の貴婦人が持っていた代表的なアイテムが日傘です。日傘と聞いて思い出されるのはやはり、印象派の代表、モネではないでしょうか。
モデルの表情をぼかして描くことが多かった彼にとって、持ち主の顔をそっと隠す日傘は画面構成上、魅力的な小道具だったのかもしれません。
『散歩』では、白いパラソルをさし、バッスルスタイルのアフタヌーンドレスに身を包み、子どもを連れて歩く妻の姿が優雅に描かれています。
絵画において頻出するテーマの一つが「身繕いする女性」です。
白粉を刷いたり、髪をまとめたりするさまは、いわば裏舞台。人前では見せない姿ゆえに、その無防備さがかえって見る側の心を刺激するのかもしれません。
19世紀後半、衛生面の観点から入浴が推奨されるようになるのですが、この新しく生まれた文化を好んで描いたのがボナールです。『浴槽 ブルーのハーモニー』をみてみると、光を受けた部分をクリーム色に、影になる部分を緑青に塗りわけた肌の表現が見事です。
また、女性はポーズを取っているのではなく、何気ない動作の瞬間が描かれており、モデルと画家との親密な関係性がみてとれます。
一方、ロートレックの『楽屋の踊り子』をみてみると、本来、入ることができないはずの空間に佇む男性が画面に描かれています。当時、ダンサーとして働く貧しい少女たちが多く、経済的な支援をしてくれるパトロンが、彼女たちを見定めていたのです。華やかな舞台の裏に潜む社会の一側面は、ドガをはじめとする画家たちによって詳らかにされています。
さて、ここからはファッションと身体の関係についてみていきましょう。
コルセット、クリノリンからバッスルまで、女性の体は常に何かしら人工的なものに形を変えられていました。
19世紀末、華やかなベル・エポック時代を迎えると、アールヌーヴォーがもたらした曲線の流行と比例するように、膨らんだ胸に細い腰、膨らんだスカートという、S字型を強調したシルエットが流行します。しかし、次第に女性が活動的になり、社会に参加するようになると、機能的で動きやすい、実用的な服が求められるようになりました。そんな1900年初頭、服飾史上で大きな役割を果たしたのがデザイナー、ポール・ポワレです。
古代ギリシャや日本の衣装に着想を得たハイウエストドレスは胸下から広がるシルエットで、コルセットで腰を締め付ける必要がなく、自然な身体のままで着ることができる、革命的なドレスでした。また、彼は宣伝にも意欲的に取り組みます。銅版が主であったファッションプレートにおいて、画家らと協力し、「ポショワール」という新たな技法を生み出しました。
細い輪郭線とマットな塗りは日本の版画に類似したものなのですが、これまでにない色鮮やかなイラストは、ジャポニズムに惹かれていた当時の人々から大いに注目を集めます。
画家たちもまた、背景やポージングなどを工夫して描くことで自身のクリエイティブを発揮し、バルビエら人気作家の活動促進にも繋がりました。
第一次大戦前後、女性の活発化はさらに勢いを増し、女性解放運動など、社会全体を巻き込んだものになってゆきます。それに伴いファッションの分野でも、直線的でスリムなシルエットが好まれるようになります。
ここではエコール・ド・パリの代表的な画家、モディリアーニの作品を見てみましょう。
知人の妻を描いた『ルネ』は、シャツにネクタイ、ボブヘアという当時最先端のギャルソンヌスタイルで、彼女の知性やユーモラスな人柄までもが伝わってくるようです。
その後もシンプルを追求する風潮は強まり、装飾的なアールヌーヴォーから、合理主義・機械美を称賛するアールデコに時代は傾倒してゆきます。
ファッションの世界では、ローウエストを中心とした直線的なシルエット、幾何学模様、東洋的なビーズ装飾やアシンメトリーといったデザインが流行します。この頃になると、プレタポルテ(既製服)が一般化し、男性のように働き、シガレットケースを持ち、一人で外を歩くモダンな女性が見られるようになりました。
1920年代のキース・ヴァン・ドンゲンの作品をみてみると、乗馬やダンスホールなどで生き生きと振る舞う女性たちの姿が、一般的な風景になったことが見てとれます。
ファッションは、一方向に真っ直ぐ進化しているわけではありません。
コルセットは現代でも使われる場面がありますし、第二次大戦後はディオールのニュールックを皮切りに、細い腰からふわりと広がるAラインのシルエットが再び流行しています。
以前の流行が復活したり、新しいスタイルが登場したりと、モードは今日まで複雑な変化を遂げているといえるでしょう。
着るものは見た目を変えるだけでなく、着る人間の心や意識、精神にも変化をもたらします。
絵画を鑑賞しながら、時代の変化に対応し、さまざまな衣装を纏った女性たちの生き方に、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。