2025.08.25
レビュー
いまもなお、CMやファッション誌の特集などで
しばしばその姿を目にするオードリー・ヘップバーン。
大きなアーモンド型の瞳。ベリーショートの髪型。スレンダーな体を引き立てる、
洗練されたスタイル。
時代を超えて、彼女は常に人々の憧れであり続けています。
しかし、彼女の魅力とは、外見だけによるものだったのでしょうか。
なぜ、何十年たった今でも人々の記憶に残り、愛され続けているのか―
その理由を、この一冊を通して探ってみましょう。
オードリー・ヘップバーンは1929年、オランダ人の母と英国人の父のもとに生まれました。
彼女の人生が大きく変わったのは、1953年に発表された映画、『ローマの休日』です。
まだ無名の新人だったオードリーは、オーディションでヒロインの座を射止めました。カメラテストが終わり、安堵した瞬間に見せた無邪気な微笑みが監督の心を掴み、「私のアン王女を見つけた!」と言わしめたそうです。
彼女の素の姿は、作品内からも確かめることができます。
劇中、相手役のグレゴリー・ペックが悪戯心を起こし、アドリブで「真実の口」に手を挟まれるふりをすると、オードリーは本気で心配して、手を引っ張り出そうとします。
ペックが種明かしをすると、彼女は本気で怒り、ペックが笑いながら謝っています。この微笑ましいシーンでの立ち振る舞いは、演技ではなかったわけです。オードリーには、天性の気品とチャーミングさがありました。
つかの間の自由を得て、ローマの街を駆けまわる姿や、はじけんばかりの笑顔は「銀幕の妖精」と評され、人々の心の中に鮮やかな印象を残しました。
本作で、オードリーは初主演作にしてアカデミー女優賞を獲得。瞬く間に、ハリウッドスターの仲間入りを果たします。
続いての代表作『麗しのサブリナ』では、パリ帰りの洗練されたヒロインを演じることになりました。
衣装の重要性を強く意識したオードリーは、既に著名なデザイナーであったユーベル・ド・ジバンシィのもとを自ら訪ねます。当初、ジバンシィは大女優キャサリン・ヘップバーンが来ると誤解していたという逸話もありますが、ファッションに対する意識が近かった二人はすぐに意気投合します。以後、生涯にわたるコラボレーションが始まりました。
オードリーが本作のために選んだのは、白地に黒の刺繍が入ったイブニングドレスです。
終盤のパーティー・シーンでその姿を見ることができますが、彼女の長い首・細い腰・長い腕を優雅に際立たせる、映画史に残るアイコン的なドレスといえるでしょう。
都会に生きるコール・ガールを演じた『ティファニーで朝食を』では、「可憐で清楚」というこれまでのオードリーのイメージを一変させ、オープニングの数分間で観客を魅了します。
おとぎ話めいた音楽をバックに、ティファニーのウインドーを見つめるヒロイン。カメラのアングルが切り替わり、オードリーの後ろ姿が映されます。
黒一色のドレスは一見シンプルなIラインのようでいて、彼女の細さを目立たせすぎないよう、控えめなギャザーがウエストに寄せられています。
長い首には真珠の5連ネックレスがぴたりと合い、それに添うようにカッティングされたバックデザインは、彼女の姿勢の美しさを引き立たせています。
計算しつくされたモダンでシックなデザインはジバンシィの傑作とされ、女性を最も美しく見せる「リトル・ブラック・ドレス」における、一つの完成形ともいわれています。
オードリー・ファッションの特徴として、カジュアルダウンした姿も魅力的であったということが挙げられます。
たとえば、『麗しのサブリナ』の舟遊びのシーンで着用した、ふくらはぎ丈のパンツとフラットシューズ。
足首に抜け感を持たせた衣装は、ヒロインの名にちなんで「サブリナスタイル」と呼ばれるようになりました。
当時、女性の足元といえば、脚を長く美しく見えるハイヒールが主流でした。
しかし、170cmという、女性としては長身の持ち主であった彼女は、自分にはハイヒールではなく、踵がないパンプスの方が似合うことを熟知していたのでしょう。
ともすれば実用的に傾きがちなカジュアルスタイルにエレガンスさを加えたのが、サルバトーレ・フェラガモです。
グレース・ケリーやマリリン・モンローには、彼女たちの魅力を引き出すハイヒールを提供しましたが、オードリーにはフラットなバレエシューズをデザインしています。
日常の中でも、ニットとパンツに軽やかな足元という、シンプルな組み合わせを好んだオードリー。
それらのスタイルには、知性と計算、そしてなにより「自分らしさ」が宿っていました。
『ローマの休日』など、活発なタイプのヒロインを演じるときのオードリーの動きには、どことなく躍動感を感じないでしょうか。
彼女はもともと、プロのバレリーナを目指していました。しかし、ナチス占領下で少女時代を過ごした彼女は栄養失調の影響により、体格的にプロとして成功することは難しいとされ、夢を断念せざるを得なくなります。
オードリーのスレンダーな体型にはこのような背景があったのですが、それでも彼女は前を向き、女優という新たな道へと踏み出したのです。
ミュージカル仕立ての映画『パリで一緒に』では、憧れのダンサー、フレッド・アステアとの共演を果たします。
ダンス・シーンでは水を得た魚のようにしなやかに舞い、動きには体重を感じさせません。かつての夢と努力が違う形で実った喜びが、画面越しに伝わってくるようです。
衣装面に目を向けると、シンプルなニットにアンクル丈のパンツ、フラットシューズという動きやすいカジュアルスタイルですが、靴下の色を白にするか、黒にするかで、衣装担当と積極的に意見を交わしたといわれています。
『麗しのサブリナ』のときもそうでしたが、オードリーは常に、著名な監督やデザイナーに対して臆することなく、自分のアイデアを伝えています。彼女が成功した一因は、この姿勢にもあるのではないでしょうか。
自分の体型・顔立ち・役柄に合った最適解を見つけるため、自分の頭で考え、実践する。彼女のスタイルがいつの時代も魅力的なのは、この知性と行動力によるものだったのです。
映画界で頂点を極めたオードリーでしたが、私生活は順風満帆ではありませんでした。
少女時代に両親の離婚を味わったオードリーは、家庭の温かさを何より求めていましたが、二度の結婚はいずれも破綻しています。
授かった二人の息子に愛情を注ぎながら女優活動を続け、スイスで静かな暮らしを送るようになったオードリーに新たな生きがいを与えたのが、ユニセフによる親善大使の打診でした。
自らが体験した飢えや恐怖を、今を生きる子どもたちに味わせたくない。
自身の中に芽生えた強い動機に支えられ、アフリカやアジア、中南米の貧困地域を自ら訪問。難民キャンプで子どもたちと向き合う姿は、国境を越えて多くの人々の心を打ちました。
5年間で100万ドルを超える寄付を集め、ユニセフの活動規模を倍増させたその情熱と行動力は、まさに「真の美しさ」を体現しています。
自身の外見について、彼女はこう語っています。
「欠点を隠そうとせず、正面から向き合うのです」
今でこそ誰もが羨むプロポーションも、当時の女優としては非常に珍しいものでした。
不利にすら働きかねない特徴を、ファッションを通して魅力に変えたのは、自身に対する深い考察の賜物といえるでしょう。
人生においては、こんな言葉を残しています。
「チャンスは滅多に巡ってこない。だから、訪れたときには絶対につかまなければ」
受け身にならず、自分の頭で考え、行動すること。
その姿勢こそが、戦争や挫折、離婚といった苦境から彼女を立ち上がらせ、人々を惹きつけてやまない魅力の正体なのかもしれません。
本書では、華やかな映画衣装からプライベートなカジュアルスタイルまで、オードリーのファッションが多面的に紹介されています。
特に、巻末の衣装集は必見。オードリーの写真集は数多く出版されていますが、コートや靴、バッグといったアイテムまでカバーしているものは、そう多くはないのではないでしょうか。
ファッションに加え、彼女自身の言葉や、周囲の人々によるメッセージも収録されており、可憐な外見に隠れがちな、芯の強い生き方を垣間見ることができます。
本書を通して、色褪せない彼女の魅力にもう一度、出会ってみませんか?