2022.11.29
レビュー
デザイナーにして思想家、詩人にして社会主義者。そんな様々な肩書を持つのが、19世紀に活躍したウィリアム・モリスです。
今回ご紹介する図録は、1997年に開催された「モダンデザインの父 ウィリアム・モリス展」に出品された作品をカラーで収録したものです。
展覧会は京都(京都国立近代美術館)、東京(東京国立近代美術館)、名古屋(愛知県美術館)の国内3ヵ所で開催されました。
本図録には、壁紙のデザインやステンドグラス、思わずうっとりしてしまう内装用ファブリックまで多数収録されており、モリスのデザインを心ゆくまでお楽しみいただける一冊となっています。
趣味として、お部屋のアイデアとして、はたまたインテリアの一部としていかがでしょうか。
ここでウィリアム・モリスの生涯をご紹介しましょう。
ウィリアム・モリスの肖像
モリスの生涯には登場人物が多いので、主な登場人物を先にまとめておきますね。
・バーン=ジョーンズ:大学で出会った生涯の友人
・ウェッブ:建築事務所で出会った親友
・ロセッティ:バーン=ジョーンズが師事する画家
モリスは1834年にイギリス・ロンドンで誕生しました。
父ウィリアム・モリス(同名の父)は証券仲買人として仕事をしており、幼少時代のモリスは比較的裕福な暮らしをしていたようです。
モリスは牧師を目指し、オックスフォード大学へ進学しましたが、そこで生涯の友人となるエドワード・バーン=ジョーンズと出会います。
バーン=ジョーンズとともにジョン・ラスキン著「ヴェネツィアの石」に感化されたモリスは、商業主義の批判・中世の芸術と社会制度の復活に興味を抱くようになりました。
1855年、二人は中世美術の勉強のためフランスを訪れ、その地でモリスは建築家に、バーン=ジョーンズは画家になる決心をします。
翌年モリスは建築事務所に入所し、後に親友となるフィリップ・ウェッブと出会いました。建築事務所に入ったものの、バーン=ジョーンズが志す画家という職業に興味が湧いてきたモリスは、バーン=ジョーンズが師事する画家のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの門下生となり、画家の仕事に携わります。
1857年の夏、ロセッティが依頼を受けた壁画制作に参加したモリスは、ジェイン・バーデンと出会って恋に落ち、後に婚約しました。その後、新婚の二人の新居(通称レッド・ハウス)の建設が始まります。
ジェイン・バーデンの肖像。彼女はロセッティのミューズでもありました。
レッド・ハウスはモリスが構想・家具・内装を担当、ウェッブが建築を図面化、バーン=ジョーンズは完成図を描き、ロセッティも精力的に協力。実に多くの仲間たちの共同作業により、レッド・ハウスは完成しました。「共に一つの目的に向かって作業する」この経験がきっかけとなり、1861年にモリスたちは共同出資による「モリス・マーシャル・フォークナー商会(後のモリス商会)」を設立しました。商会は壁面装飾、装飾彫刻、ステンドグラス、金属製品、家具の5つのジャンルを総合生活芸術として定め、活動し始めます。
商会の仕事は順調に拡大し、1875年には「モリス商会」として単独経営に改組、モリスはこの他にも古建築物保護や公演活動などに精を出し、彼の活動は一層充実していきました。改組後はテキスタイル部門に力を入れて拡大し、商会の仕事はますます活発化していきます。
1878年にはジョン・ヘンリー・ダールを弟子に加え、ダールはモリス没後に商会のアート・ディレクターとなりました。
友人で陶芸家のウィリアム・ド・モーガンは1881年、染めに適した軟水の流れる川を見つけ、インディゴ抜染法という技術を完成させました。このインディゴ抜染法により、モリス商会の製品は職人の手仕事による味わいがさらにプラスされていきます。
内装用ファブリック「いちご泥棒」。この作品がインディゴ抜き染に赤と黄色を用いた最初のデザインとなりました。
また、染め職人トマス・ウォードルと協力して中世からの天然染料による染色法によるテキスタイルの制作に一層集中し、同時にパターン・デザイン理論の発展と実践に力を注ぎました。
晩年になり、モリスは書物の私家版印刷工房「ケルムスコット・プレス」を創設し、全53書目、66冊の書物を出版します。「書物というものはすべて”美しい物”であるべきだ」という理念を掲げ、美しい活字・美しい用紙・美しい装丁にこだわって製本を進めました。
ウィリアム・モリスのデザインによる「ジェフリー・チョーサー作品集」。彼の美的意識の高さが伺われます。
晩年のモリスは糖尿病を抱えてしまいます。養生のためノルウェーに逗留しましたが、病状はあまり改善せずに帰国し、1896年10月3日に息を引き取りました。モリスの墓標はウェッブによりデザインされたと言います。
こうしてモリスの生涯を振り返ってみると、実に多くの友人や仕事仲間に恵まれていたことが分かりますね。デザイナーに思想家、詩人と肩書の多さが特徴のモリスですが、それは友人や仲間に恵まれて色々なことに挑戦したり、導かれてきた結果と言えるのではないでしょうか。
「仕事は人とのつながりが大事」とよく言われますよね。現代の私たちも取引先や顧客とのつながりを大事にし、信頼を得ることでお仕事が成り立っています。その信頼の連鎖によって、社会は回っているとも言えるでしょう。大切なことは今も昔も変わらないものです。モリスは友人や仲間とのつながりによって活躍の場を拡げていった人物と言えるのではないでしょうか。
モダンデザインの父として、現代にも多大な影響を与えているモリスですが、仕事の立ち回りの面でも学ぶべき側面のある偉人だと感じます。
ここからは、モリスと非常に関連の深い「アーツ・アンド・クラフツ運動」についてご紹介します。
アーツ・アンド・クラフツ運動とは、19世紀後半から20世紀前半にかけて生まれた「日常生活の中に芸術を取り入れようとする思想や実践」のことです。その中心となったのがモリス商会でした。
18世紀後半から19世紀にかけて、イギリスでは産業革命が起こります。かつて人々の生活を支える家具などは、職人の手作業によって命が吹き込まれた逸品でした。
しかし、産業革命によって工場で大量生産された製品が流通するようになり、かつての職人は労働者に成り下がり、労働者は賃金を得るためだけに労働をするようになりました。
モリスは工場で大量生産される製品の品質低下や、労働の喜び・手仕事の素晴らしさが失われたことに危機感を覚えます。そこで、仲間と設立したモリス・マーシャル・フォークナー商会では、ステンドグラス、家具、装飾画、タイルなどを職人の手で作り上げることで、手仕事ひいては労働の尊さを取り戻そうとします。
モリス商会で手掛けたステンドグラス(上)、家具(下)。
モリス商会として再スタートを切ってからは、テキスタイル部門を強化し、家庭向けの室内装飾品に注力するようになりました。「生活の中に芸術を」の理念をさらに追求していったのです。
モリス商会が中心となって起こった「アーツ・アンド・クラフツ運動」は各国へ大きな影響をもたらし、20世紀のモダンデザイン・近代建築などの源流となっていきました。現代のデザインや建築のなかにも「アーツ・アンド・クラフツ運動」の理念は息づいていると言えるでしょう。
アーツ・アンド・クラフツ運動について理解を深めていくなかで、私は「これは何かに似ているな…」と感じていました。そして思い当たったのです、「これはIT革命に対する臨み方と似ている」と!
ここで簡単にIT革命についておさらいをしておくと、IT革命とは「インターネットが商業化された1995年以降、だれでも手軽に情報を入手できるようになり、社会経済に大きな変革がもたらされた現象」を言います。
モリスは産業革命によってもたらされた大量の粗悪な製品について警鐘を鳴らしていました。現代の私たちもIT革命に直面し、「インターネット上にあふれている情報から、正しい情報を選び抜く力」が求められています。要は、誤った情報・悪い情報が人々の目や耳にいとも簡単に飛び込んでくるようになったのです。
今でこそ「正しい情報を見極めよう」「情報リテラシーを育もう」と叫ばれていますが、今よりも格段に社会が発展していない18世紀後半において、社会変革に対して異議を唱え、実際に社会を変えようと挑んでいくモリスの姿勢には、尊敬の念に堪えません。
時代の先駆者たちはいつだって「社会を変えよう」という気概にあふれた素晴らしい人たちだと改めて感じました。
やや話が逸れてしまいましたが、そんなモリスがデザインした作品たちをぜひ一度ご覧になってほしいということです。
モリス渾身の作品がつまった「図録 モダンデザインの父 ウィリアム・モリス」、興味のある方は手にしてみてはいかがでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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