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2023.02.15

特集

川崎市岡本太郎美術館リニューアル記念・岡本太郎特集

芸術は爆発だ!常に挑み続けた芸術家

はじめに

絵画から彫刻、家具、デザイン、写真、書、言葉まで、さまざまな方法で自身の芸術観や人間観を表現した異色の芸術家、岡本太郎。

「芸術は爆発だ!」の名言でもおなじみですね。

日本万国博覧会(大阪万博)の《太陽の塔》をはじめとした、奇抜な配色の絵画、奇妙なオブジェを連想する人も多いのではないでしょうか。

2023年2月1日からは川崎市岡本太郎美術館がリニューアル・オープンします。この美術館は、川崎生まれの芸術家・岡本太郎の芸術、およびその両親である漫画家・岡本一平、小説家・岡本かの子の芸術を顕彰する美術館です。

今日でも幅広い世代の人々を魅了する芸術家・岡本太郎の生い立ちやその魅力について太郎の名言を添えながら紹介していきます。川崎市岡本太郎美術館に行く前の予習や図録を手に取るきっかけとなれれば幸いです。

【写真1】1991年に川崎市市民ミュージアムにより発行された「図録 川崎生まれの鬼才 岡本太郎展」表紙。この絵が代表作の1つ、「森の掟」です。

ぼくはパリで、人間全体として生きることを学んだ。―芸術家・岡本太郎の誕生―

芸術家・岡本太郎を育んだのは1930年代のパリでした。

18歳でパリへ渡り、10年ほどをパリで過ごしたという岡本太郎。自身の芸術について日々思い悩み悶々として過ごす中、太郎は偶然立ち寄った画廊で出会ったピカソの絵画にその場で涙を流すほどの衝撃を受けました。そして「ピカソを超える」ことを目標に絵画制作に打ち込むようになりました。

【写真2】岡本太郎生誕110年を記念し鳥取県立博物館で開催された企画展「生誕110年 岡本太郎 -パリから東京へ」で発行された公式図録表紙。

また、時に美術の世界から離れ、パリ大学で人類学の父、マルセル・モースに民族学を学ぶ道を選びます。単なる絵描きで終わりたくない、人間という存在をもっと知りたい、そう考えたからです。既成の「芸術」という分野の枠にとらわれない、太郎らしい選択です。

この経験によって獲得した世界観と思考回路が後の芸術家・岡本太郎の根幹を確立していきました。

 

ぼくはパリで、人間全体として生きることを学んだ。

画家とか彫刻家とか一つの職業に限定されないで、

もっと広く人間、全存在として生きる。

それがぼくのつかんだ自由だ。

岡本太郎、『壁を破る言葉』イースト・プレス、 2005年

【写真3(左)】みすず書房から出版された全5巻のシリーズ「岡本太郎の本 5 宇宙を飛ぶ眼」。【写真4(右)】「宇宙を飛ぶ眼」では「思い出のパリ」としてパリの思い出が瑞々しく語られる。

これは芸術的な運動ではなくて、社会的な闘いなんだ―ゼロからの出発―

パリで最先端の芸術運動に身を投じていた太郎の身にふりかかったのが、第二次世界大戦でした。

日本への帰国を余儀なくされた太郎は、パリでの知的で自由な生活から一変した、想像を絶する過酷な軍隊生活へと身を投じることになります。そして戦後、中国での捕虜生活を経て、やっと帰ってきた東京・青山の家は焼け野原となっていました。アトリエもそこにあった作品も、すべて失い、文字通りゼロからの出発となりました。

そうした苦難を乗り越えて活動を再開した太郎は、新聞紙上に「絵画の石器時代は終わった」と宣言。旧態依然とした日本美術界に対してひとり宣戦布告をしました。“灰色”が跋扈する美術界にあえて色鮮やかな原色をぶつけました。

パリ時代の作品の大半は焼失してしまったため、私たちが知っている岡本太郎の作品はここからの作品が多くなります。

 

私は展覧会などを見て呆れていた。会場に入っていくと全作品が暗灰色だ。

いわゆる“わび・さび・しぶみ”。

徳川後期あたりからのゆがんだ筋をただなぞっているよう。

多数の作家のが並んでいるのに、全部同じに見える。それぞれの個性がないのだ。

岡本太郎、『岡本太郎の本1・呪術誕生』、みすず書房、1998年

【写真5(左)】「岡本太郎の本1 呪術誕生」【写真6(右)】「岡本太郎の本」全5冊書影。各表紙の色、配置された彫刻の力強さが印象的だ。

芸術は呪術である―縄文との出会い―

一方、作品制作の傍らで、日本文化にも目を向けた太郎。1951年に東京国立博物館でぐうぜん異様な形の縄文土器と出会います。縄文土器をとおして“ほんとうの日本”を見出した太郎は、縄文土器について調べまくり、翌年、自ら『縄文土器論』を発表するに至っています。のちに太郎は“縄文の発見者”と称されるようになりました。

驚いた。こんな日本があったのか。いや、これこそが日本なんだ。身体中に血が熱くわきたち、燃え上がる。すると向こうも燃え上がっている。異様なぶつかりあい。これだ!まさに私にとって日本発見であると同時に、自己発見でもあったのだ。

岡本太郎、『画文集・挑む』、講談社、1977年

【写真7】2001年発行の「図録 岡本太郎と縄文」。考古学者の小林達雄氏らが巻頭序文を寄せ、太郎がインスピレーションを得た縄文の土器・土偶なども挿入された異色の構成。

太郎はその後、日本全国を縦断取材の旅に出ます。そして、の視点から各地に息づく日本の原風景を読み解いていくなかで、多くの発見と出会ったのです。

そうした出会いもあり、太郎の作風は大きく変わっていきました。色とりどりの原色がキャンパスいっぱいに広がり、どこかマンガチックなキャラクターをぎっちりと描きこんでいたそれまでとは違い、書の筆致を思わせる呪術性を秘めたような抽象的なモチーフが画面を支配するようになったのです。《森の掟》に代表される明るい物語性は影を潜め、暗く不気味な“御神札”のような世界になりました。

芸術は呪術である。

人間生命の根源的渾沌を、もっとも明快な形でつき出す。

人の姿を映すのに鏡があるように、精神を逆手にとって呪縛するのが芸術なのだ。

「呪術誕生」『みづゑ』美術出版社、1964年2月号

 

この変化が芸術家・岡本太郎の集大成であり、最高傑作であるふたつの太陽の制作に大きく作用しました。

現代によみがえるふたつの太陽―《太陽の塔》と《明日の神話》―

高さ70mの巨大建造物《太陽の塔》と幅30mの巨大壁画《明日の神話》。

太郎が遺した最大の彫刻と最大の絵画は、ともに芸術家・岡本太郎の集大成であり最高傑作というだけでなく、ほぼ同時に構想され、ともに「太陽」をキーワードとする双子のような存在です。

「人類の進歩と調和」を掲げた1970年の大阪万博。大阪万博テーマプロデュースを依頼された太郎は、科学技術の進歩を礼賛する博覧会において、あえてテーマとは真逆ともいえる、人間の太古からの根源的なエネルギーを象徴した《太陽の塔》を会場中央に突き立てました。その強烈かつ異様な光景は日本人の脳裏に強烈に刷り込まれ、日本の芸術作品のなかで最大・最強のアイコンとなったのです。

太陽は人間生命の根源だ。

惜しみなく光と熱を

ふりそそぐこの神聖な核。

われわれは猛烈な祭りによって太陽と交歓し、

その燃えるエネルギーにこたえる。

《太陽の塔》銘板

【写真8・9】「DVD 太陽の塔 TOWER OF THE SUN」。太陽の塔作成当時のさまざまな分野の専門家らへのインタビューをまとめたドキュメンタリー。監督:関根光才。

一方、万博の仕事に忙殺されるかたわら、太郎は同時進行で巨大な壁画を描いていました。場所はメキシコシティ。“小さな太陽”ともいわれる原子爆弾をテーマに、人類の進歩が生む負の側面を捉え、さらにそれを乗り越える未来への期待も込められた《明日の神話》です。しかし、不運にもこの作品は完成後に人目に触れぬまま行方不明になっていました。

そんなメキシコで不遇な運命をたどることとなった《明日の神話》は、2003年、数十年も資材置き場に放置されていたのが奇跡的に発見され、日本に戻り、現在も渋谷の街を彩っています。そして《太陽の塔》もまた、大阪万博閉幕から48年後の2018年3月、ついに耐震補強と展示再生がなされ、一般公開されるようになりました。

こうして長らく息をひそめていたふたつの太陽は現代によみがえり、色あせることなく見る人にエネルギーを与え続けています。

【写真10】1977年に開催の「TARO展」(現代芸術研究所 発行)図録に掲載された「明日の神話」。この後、長らく行方不明になるとは誰も予想しませんでした。

岡本太郎の作品を楽しむ―街中のパブリックアート―

 

芸術は創造である。絵画は万人によって

つくられなければならないのだ。

芸術は大衆のものだ。芸術は自由だ。

岡本太郎「芸術観-アヴァンギャルド宣言」『改造』改造社、1949年11月号

 

芸術とは民衆のもの。無償無条件。これが芸術家・岡本太郎の根底にあります。

芸術はけっして一部のお金持ちやマニアだけのものではない。特殊な立場にいる特別な教養を持った人たちだけのものではなく、みんなのくらしの中に生きるものであり、もっと言うのなら暮らしそのものであると太郎は考えていました。

そう考える太郎は絵を売らず、画廊や美術館を飛び出し、つねに自分の作品をストレートに大衆社会に送り出すことを選び、いつでもだれでもアクセスできる公共の場所にたくさんの作品をのこしました。

彫刻、壁画、レリーフ、記念碑、時計、広場、梵鐘、暖炉…。こうした芸術の在り方を表した岡本太郎のパブリックアートは、日本国内だけで140作品70ヶ所以上に及び、バリエーションもじつに広範で、一般的なアートの概念からはみ出たものも少なくありません。

【写真11】渋谷のこどもの城の前に設置された「こどもの樹」。【写真12】NHK放送センター・ロビーに設置されたレリーフ「天に舞う」。

こうした岡本太郎の膨大な作品を鑑賞したとき、意味が分からないこともたくさんあると思います。しかし、そんなことは気にしなくていいと太郎は言います。

その作品と向き合った結果、「よくわからないけど、ちょっといい」とか「なんか嫌な感じ」みたいな感想でもいいんです。

芸術鑑賞は積極的に理解しようする姿勢があれば充分で、今後は絵が描かれた当時を想像しその時代を感じながら楽しく前のめりに鑑賞してください。

まとめ

太郎は生涯をかけて“岡本太郎という芸術”を社会に投げ入れました。彼の人生は非常に濃厚で、ここでは書ききれない魅力がまだまだあります。

気になった方は、リニューアルした川崎市岡本太郎美術館や展覧会へ足を運んだり、当店で図録を購入したりして彼の作品を眺めてみましょう。

この機会にぜひ芸術家・岡本太郎の世界に浸ってみてください。

岡本太郎の強烈な作品や言葉たちは、きっとあなたの眼の前に立ちはだかる閉塞感を切り裂いてくれるものとなるはずです。

 

記事中写真の出典

写真1・11・12「図録 川崎生まれの鬼才 岡本太郎展

写真2「図録 生誕110年 岡本太郎-パリから東京へ

写真3~6「岡本太郎の本 1巻~5巻 計5冊

写真7「図録 岡本太郎と縄文

写真8・9「DVD 太陽の塔 TOWER OF THE SUN

写真10「図録 挑む-TARO展