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2024.11.14

レビュー

図録 縄文ー1万年の美の鼓動

 

「なんだこれは!」

東京国立博物館の一室。異様な形の縄文土器と出会った芸術家・岡本太郎はそう叫んだ。

日本美術の歴史の始まりはいつでしょうか。飛鳥時代?奈良時代?それとも平安時代の国風文化を思い浮かべるでしょうか?

実は日本美術史の始まりは縄文時代までさかのぼるんです。燃え盛る炎のような文様をもつ縄文土器やゴーグルをつけたような目をした土偶など、学校の教科書や図録などで見たことがある人も多いのではないでしょうか。

 

 

縄文は日本美術の源流!といっても、実はそういわれ始めたのはつい50年程前です。そう、冒頭で述べた芸術家・岡本太郎と縄文土器の出会いからですね。この出会いをきっかけに建築やデザイン界を中心に縄文ブームがわきあがり、日本美術史の始まりが書き換えられました。

今回の記事は、芸術家・岡本太郎が見出した縄文の美の世界にご案内するために、縄文時代の概要から縄文文化を象徴する縄文土器や土偶について紹介していきます。

※岡本太郎については以前の記事「川崎市岡本太郎美術館リニューアル記念・岡本太郎特集」で紹介しています。

 


縄文時代とは

日本列島に住む旧石器人によって築かれた「縄文時代」は、およそ1万3000年前から約1万年もの間続きました。この時代名称は、当時の人々が利用していた縄目の文様をもつ土器にちなんで名づけられました。縄文時代は非常に長いので、学問的にはさらに草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6つに分けられます。

縄文時代(約1万年間)

草創期

早期

前期

中期

後期

晩期

約13,000年前~

約3500年間

約9,500年前~

約3500年間

6,000年前~

約1000年間

5,000年前~

約1000年間

4,000年前~

約1000年間

3,000年前~

約500年間

土器づくり開始

土偶出現

定住開始

温暖化が進む

縄文海進

 

縄文文化のゴールデンエイジ

 

稲作の伝来

※年代区分は諸説あり

縄文時代の始まりから少し遅れて厳しい寒さが続いた氷期が終わりを迎え、温暖で湿潤な安定した気候へと移り変わりました。入江や干潟ができ、山や森、川や海といった現在の日本列島の景観や四季がこの時期に整いました。この多様な自然環境を利用し、狩猟や漁、そして植物の採取をするようになり、各地で定住生活が営まれるようになりました。

 


縄文時代の暮らし

―時代の幕開けを告げる縄文土器―

 

およそ4万年前日本列島にやってきた旧石器時代の人々は、黒曜石で作った石器を括りつけた槍で狩りを行い、獲物を求めて移動しながら生活をする、いわゆるキャンプ生活を送っていました。そんな旧石器時代と縄文時代の違いはいったい何でしょうか。

一番大きな違いは、「土器」の存在とそれによる「定住化」といえるでしょう。

人々が新たに作るようになった土器は、食べ物の調理や貯蔵に使われ、食生活に大きな安定をもたらしたと考えられます。例えば、そのままだと食べられないアクのつよい木の実や草なども土器で煮沸することで食べられるようになりました。この画期的な発明品である「土器」、その出現は、縄文時代の幕開けを告げるものです。

さらに、土器以外にも遠くから動物を仕留める弓矢や魚介類をとる釣り針や銛、調理に使う石皿など、さまざまな道具が作られました。人々は主に採集や漁、狩りによって暮らしを営み、かつての移動生活から定住生活へと変わっていきました。やがて、拠点となる集落(ムラ)が出現します。集落には住居やお墓ができ、食料の貯蔵施設、貝塚などができました。依然として縄文人たちは厳しい自然環境にさらされていましたが、生活は安定し、徐々に余裕さえ生まれてきました。

その余裕からか、縄文人は土偶や石偶のような用途のない特別な造形物を生み出し、集落全体の繁栄と安寧を祈るための祭器も生み出します。しかも、日常生活のなかでも縄文と呼ばれる緻密な文様を施すことによって、丹念なモノづくりを続けていました。

 


うねる文様

―縄文土器―

食材を煮炊きするという実用目的でつくられた土器。約1万年にわたって作られ、使われ続けた縄文土器は、作られ始めて間もなく装飾が施されるようになり、粘土という可塑性に富んだ素材を活かして絶え間ない変化を続けました。時期や地域によって、器の組み合わせはもちろん、その形や文様にも大きな違いがあります。

縄文土器は基本的に素焼きの土器で、その文様は土器の表面に爪や指、縄や貝に加え、木や竹で作られた棒やヘラなどの道具を使って描かれたり、粘土を貼り付けて表現されたものです。

実は、これらの文様は作者の個性の表現というわけではないんです。装飾された土器はそれぞれの集団の象徴や結束のためにつくられ、流行もありました。そのため、考古学者や縄文好きの人たちは土器の形や文様を見るだけで、地域や時期が特定できるんですよ。

 

縄文土器のうつりかわり

草創期:最古の土器は無紋。徐々に文様がみられるようになり、約1万年前に縄目の模様のついた縄文土器が登場。

早期:各地で土器の地域性がみられるようになる。尖った底の土器が多いのも特徴。

前期:土器の地域差がより明確に。縄のより方、転がし方を工夫を凝らし、多種多様な文様で埋めつくす。

中期:粘土を幾重にも貼り付けることで器面から飛び出す波打つような力強い装飾が頻出。木や竹を駆使して細部まで丁寧に仕上げられ、気品もただよう。縄文土器の代表ともいえる「火焔型土器」もこの時代のもの。

後期・晩期:急須のように注ぎ口がついた注口土器が普及する。立体的な装飾は影をひそめて、棒やヘラなどの描線によって文様が描かれた。

また、縄文土器は抽象的な文様で飾られることが一般的ですが、人や動物をあしらったものもあります。これらの土器には縄文人のメッセージが託されているようです。土器の装飾に使われている動物はヘビ、そしてイノシシが多くみられます。イノシシは縄文人の狩りの主要な獲物ですが、これより多くみられるのがヘビです。ヘビの脱皮などに不死の想いを託していたのかもしれませんね。

 


祈りのかたち

―土偶―

ここまで縄文土器を中心に話してきましたが、縄文文化で忘れてはならないのがヒトを模して形づくられた「土偶」ですよね。土偶は、古墳時代のハニワと共に日本中に広まり、今では確固たるキャラクターとして知られる存在となりました。

縄文人たちの祈りの形の代表が土偶、素焼きのヒトガタです。縄文土器と同じく、縄文時代の始まりとともに登場し、弥生時代に入るとぱたりとつくられなくなった土偶は、縄文文化を象徴する遺物のひとつです。

土偶には地域や時期によってさまざまな違いがみられます。初期の土偶は頭や手が省かれ、女性の胸部を表現したトルソーのようなものでした。そこから徐々に頭や手足も表現されるようになり、ついには自立するようになりました。国宝土偶「縄文のビーナス」がその初期の到達点です。また、微笑みや怒りなどのいろいろな表情を見せる土偶や土器を抱えるポーズをとる土偶、土輪として使える土偶等々、さまざまな土偶が作られるようになりました。

土偶は、縄文時代1万年間を通して変わらず命を育む女性をかたどっています。大きく張り出した腹部や臀部は妊娠の表現であり、安産や豊穣への祈りのために用いられたと考えられています。また、あの世や他者という感覚も生まれ、病気治癒や再生への祈りも込められたと言われています。

また余談ですが、男性を象徴する造形として、石棒(せきぼう)も前期後半に出現します。簡素な形で男性器を表現した石棒には子孫繁栄や豊穣の祈りが込められていると考えられています。

実際のところ、縄文人が土偶で何を表現しようとしていたのか、どのように使われていたのかという点については、明確な根拠がないため、私たちの想像の域を出ていません。しかし、その神秘的な造形からは、自然を畏れ敬う縄文人の精神世界を巧みに表現する、優れたデザインセンスを感じることができるでしょう。

 


 

縄文人たちの暮らしと彼らの生み出した美、縄文土器と土偶についてお話してきましたが、いかがだったでしょうか。芸術という言葉を知らなかったであろう縄文人がつくった造形物から伝わる力強くダイナミックな表現には不思議と人を惹きつける力がありますね。記録にある限りでは、江戸時代からコレクション対象だったようです。最近では縄文時代の遺物の人気ナンバーワンを決める「縄文ドキドキ総選挙2020」なんてものが開催されたそうですよ(ちなみに1位は国宝土偶「縄文のビーナス」でした)。

当店で取り扱っている図録『縄文―1万年の美の鼓動』は2018年に東京国立博物館で開かれた展覧会の図録です。本書では北海道から沖縄まで全国各地の出土品を集め、時代ごとに変化していく実用性と美しさを兼ね揃えた土器や、独創性が際立つ土偶などを通し縄文の魅力にせまります。国宝土偶「仮面の女神」や「縄文のビーナス」などの縄文時代の国宝6点全てが収録されています。ずしっと見ごたえのあるボリューム満点の一冊です。

縄文文化についてもっとよく知りたいけど、専門書はハードルが高い…という人にはこの図録がおススメです。まずはパラパラと写真を眺めて、お気に入りを探してみてください。その一つがきっとあなたを「縄文の美」の世界へといざなってくれるでしょう。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!