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2024.09.05

レビュー

図録 大妖怪展 土偶から妖怪ウォッチまで

 

 

そろそろ夏も終わり…かと思えばまだまだ暑い日が続きますね。

そんな暑い日には怪談、妖怪のお話なんかはいかがですか。

 

 

河童や天狗、鬼、あるいは

不思議な力をもった狐や狸、蛇、猫といった動物たち…

どことなくユーモアや親しみを感じる不思議な力を持つバケモノ「妖怪」。

時代は妖怪ブーム。ゲゲゲの鬼太郎から始まり、妖怪ウォッチ、夏目友人帳、鬼滅の刃など今やコミックやアニメ、小説の世界を見渡してみると妖怪をあつかった作品でいっぱいです。

コロナ禍初期には妖怪「アマビエ」が一躍有名になりましたね。

 

 

みなさんは妖怪と言ったら何を思い浮かべますか?

今回の記事は、いつの時代も日本人と深くかかわってきた妖怪たちの歴史の一端を紹介していきます。

 


人の畏れから生まれた妖怪たち

妖怪とは、人間が不安や畏れを抱いたときに生まれるものです。

科学や医療が発達していない時代の人々にとって、現代では考えられないほど日常に「不思議」が満ち溢れていました。

 

たとえば、台風が起きたとします。現代に生きる私たちは台風が発生するメカニズムを大体知っているので、それを妖怪の仕業だとは考えませんよね。けれど、昔の人たちにとっては自分のもつ知識では理解できない出来事。

ゆえに「怪異がおきた」「人ではない何かが引き起こしたに違いない」という感じで解釈することで、この出来事に対する不安や恐れとの折り合いをつけました。そして、怪異や人ではない何かに名前をつけ、その姿や物語を想像力を駆使して作り出していったのです。そうして生まれたのが「妖怪」です。人はこれらを「もののけ」や「化け物」、「変化・魔性の物」などと呼び、畏れていました。

 


妖怪のはじまり

では、この「妖怪」という概念はいつ生まれたのでしょう。正確な起源は分かっていませんが、人間の文明や文化が誕生した時には存在していたと考えられています。実は、縄文時代に作られた奇怪な姿をした土偶も妖怪のルーツかもしれないとも言われているんです。

書物で確認できる範囲では奈良時代までさかのぼることができ、『古事記』や『日本書紀』といった歴史書のなかでも鬼や大蛇、怪奇現象に関する記述が既に見られます。神が落ちぶれて妖怪になったり、妖怪が祀られるようになって神になったり、ある地域では神でも他の地域では妖怪とされたり、神と妖怪は表裏一体の存在として扱われました。

また、平安時代には『日本霊異記』や『今昔物語集』を初めとして、怪異や妖怪にまつわる説話の登場する説話集も編さんされており、百鬼夜行に関する記述もここに記されています。

こうした書物の中の妖怪たちは後の時代まで引き継がれていきました。しかし、これらの妖怪の姿は言葉で語られてはいるものの、絵に描いたものはなく、具体的な姿かたちはまだありませんでした。


河鍋暁斎 画『暁斎百鬼画談』,岩本俊,明22.8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12069675 (参照 2024-09-05)


描かれる妖怪

そんな妖怪たちが描かれるようになったのは平安時代末期からです。

仏教の伝来によって地獄の思想が広まり、もののけや鬼が地獄の獄卒や奇怪な生き物が描かれるようになります。そして鎌倉時代以降、絵巻物や御伽草子といった絵物語により具体的な姿を持った妖怪たちが続々と登場し、室町時代になるとその動きは庶民層にまで広がり、民間に流布していた伝説や物語もたくさん絵物語化されていきました。

気弱そうで同情を引く顔つきの妖怪が登場する『土蜘蛛草紙絵巻』、古道具を妖怪化させてものの大切さを説く『付喪神絵巻』、一見すると不気味ながら愛らしさにあふれる妖怪が京を闊歩する様子が描かれる『百鬼夜行絵巻』など、妖怪たちは絵と物語によって次々と視覚化され、絵巻物の中で大暴れ。

そうして人の畏れから生まれ、恐怖の対象であった妖怪がだんだんと娯楽の対象へと変化していきました。こうした娯楽としての妖怪文化は公家や寺社を主体としていましたが、室町・戦国時代を経て、武家や町人にも緩やかに広まっていきました。


『百鬼夜行絵巻』,[江戸中期] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2540972 (参照 2024-09-05)


妖怪の大流行

江戸時代になると、妖怪は大きな転換点を迎え、そして一大ブームになります。現代まで続く妖怪ブームの始まりとも言えるでしょう。

江戸時代には怪談を語って楽しむ「百物語」と呼ばれる怪談会が流行し、これに刺激されて「百物語」と題した怪談集がたくさん刊行されていました。まだ誰も知らない未知の怪談や妖怪の話を求めた語り手たちによって多数の妖怪たちの物語が集まりました。

そんな多様化した妖怪たちの名前や姿かたちをまとめた妖怪図鑑も多数刊行されました。その筆頭が鳥山石燕の『画図百鬼夜行』です。そして、この妖怪図鑑に大いに刺激を受けた葛飾北斎、歌川国芳といった名だたる浮世絵師たちがこぞって妖怪画を手がけ、多くの名作を残しています。また、十返舎一句をはじめとする江戸の大衆小説家たちも、妖怪たちが登場する絵草紙をたくさん創作しました。

こうした妖怪に関する本や浮世絵は出版技術の発展によって多くの人の手に渡りました。そして多くの妖怪の姿が人々の中で浸透していくにつれて、かるたやすごろくなどの玩具や着物のデザイン、装飾品までさまざまなものに描かれるようになっています。たとえば、印籠や櫛、根付、煙草入れにも、魔除けも兼ねて、伝説や芝居に題材をとった鬼や狐などの妖怪の姿をあしらったものが作られました。 そのようなものを身につけるのが「粋」 だったのでしょう。

こうして妖怪は本格的に娯楽の対象となっていきました。しかし、人々の中から妖怪に対する畏れがなくなったというわけではありません。ただ妖怪を怖がる気持ちがある一方で、「カワイイ」と感じたり、友だちのように身近な存在として捉えたりする感性が育まれたのが江戸時代でした。


一勇斎国芳『滝夜叉姫と骸骨の図』. 国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1305636 (参照 2024-09-05)


したたかに生き続ける妖怪たち

時代は明治維新という歴史的な変革期を迎えます。文明開化が叫ばれ、科学的知識や合理的思想が急速に広がり、妖怪のような不思議な現象・存在は消滅していくかのように思われました。

大正から昭和にかけて妖怪画も衰退する中で、意外にも新聞という媒体で妖怪は住処を見つけ、人々の中に残り続けました。そして戦後、水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』によって再び脚光を浴びることになりました。このブレイクのおかげで妖怪は市民権を獲得。大勢の漫画家たちが妖怪漫画を手がけるようになり、巻き起こった妖怪ブームは形を変えつつ現代まで続いています。

そして、科学も医療も発達した現代、妖怪たちに対する畏怖は遠いものとなり、現実と乖離したフィクションの存在へとなっていくように思えました。しかし、現代でもうわさ話や世間話などを発端にトイレの花子さんや口裂け女などの新たな妖怪が生まれ、インターネットでも妖怪話が次々に誕生しています。

共同体の中で自然と生まれ、語り継がれるのが妖怪です。これからの妖怪たちは時代の潮流に合わせて変化・進化を遂げながら、さまざまな形で行き続けていくのでしょう。

 


 

妖怪の歴史をざっと振り返ってみましたがいかがだったでしょうか。

人の畏れや不安から自然と生まれた妖怪たち。最初は名前も姿かたちも朧気で不安定だったそれらは名前と物語、姿かたちを与えられたことで確固たるキャラクターへと変化し、絵巻や浮世絵、近代メディアなどの媒体により、大衆化され、現代まで語り継がれてきました。

 

当店で取り扱っている図録『大妖怪展 土偶から妖怪ウォッチまで』は2016年に江戸東京博物館で開かれた展覧会の図録です。

古来より日本人が愛し、表現してきた『妖怪』たち。本書は縄文時代から現代に至るまでそのさまざまな姿を美術史の観点からとらえ、摩訶不思議な存在でありながらも長きにわたって愛され続ける彼らのルーツを探るものです。国宝「辟邪絵(へきじゃえ)」をはじめ、重要文化財である「土蜘蛛草紙絵巻」、縄文時代の「みみずく土偶」から現代の「妖怪ウオッチ」など、恐ろしいだけではなくどこかコミカルで可愛らしい妖怪たちが約120点収録されており、眺めるだけでもおもしろい。4000年の物の怪たちが一堂に会する、妖怪展の決定版ともいえるボリューム満点の一冊です。

妖怪についてもっとよく知りたいけど、専門書はハードルが高い…という人にはこの図録がおススメです。まだまだ解明されていないことが多く、未知の領域がおおい妖怪の世界へ踏み出すきっかけになること間違いなしです!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!