2023.01.16
特集
「夭折の天才 エゴン・シーレ」をご存じでしょうか。
エゴン・シーレは19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したウィーン出身の画家。「28歳」でこの世を去った彼は、短い生涯のうちに鮮烈かつ印象的な作品を残していきました。
古典主義を嫌う性格や少女愛好の性向があり、作風に限らず人間性においても型破りな人物だったとして知られています。
2023年1月26日からは東京都美術館にて「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」が開催予定。日本では30年ぶりのエゴン・シーレの展覧会とあって、現在大きな注目を集めています。
今回はそんなエゴン・シーレについて、彼の生い立ちや作品の特徴について紹介していきます。展覧会の予習や図録を手に取るきっかけとなれれば幸いです。
シーレは1890年、オーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンの近郊トゥルン・アン・デア・ドナウの町で誕生しました。父アドルフは後に駅長となる鉄道員であり、祖父も鉄道技師であったことから、家は鉄道模型があふれる鉄道一家だったそう。
写真1:父が駅長を務めたトゥルン駅舎がシーレの生家でした。
幼少期のシーレは絵を描くことが大好きで、なんと2歳から絵を描き始めたとか。父アドルフは鉄道一家の伝統を継承しようと、シーレが鉄道技師になることを期待していました。勉強もろくにせずに絵を描いてばかりいるシーレのスケッチブックを取り上げ、破り捨ててしまったこともあったそうです。なんと厳しい父親でしょう…。
そんな父アドルフを慕っていたシーレでしたが、父の病死が奇しくも彼の人生を変える分岐点になりました。鉄道技師としての将来を期待されなくなり、大好きだった絵画について学ぶためにウィーン工芸学校に入学します。
ウィーン工芸学校では教師たちに絵の才能を認められ、本格的に絵画を学ぶためにウィーン美術アカデミーに移ります。しかし、シーレはアカデミーでの「保守的で時代錯誤な古典主義」が受け入れられず、授業から離れるようになります。後の作品を見ると分かりますが、当時から型にハマった作風を嫌い、表現したい主張や想いがあったのでしょう。
写真2:ウィーン美術アカデミー合格の1年後に描かれた自画像。「右向きの自画像」1907年。当時シーレ17歳。
ほどなくしてシーレは生涯の師となるグスタフ・クリムトに弟子入りします。シーレの才能に一目置いていたクリムトは、シーレの作品を購入したり、モデルへの賃金を立て替えるなど、とても献身的にサポートしてくれました。
左:写真3(シーレ作品)、右:写真4(クリムト作品)。シーレの一部の作品にはクリムトの影響がはっきり見て取れる。
芸術面と切り離せないのが、シーレの色恋模様。クリムトから紹介されたヌードモデルのヴァリーと恋に落ち同棲を始めると、やがてヴァリーと一緒に母の故郷であるチェコの田舎町へ移住します。
シーレの家にはヌードデッサンのために娼婦が出入りしていましたが、保守的な田舎町ではこの様子が受け入れられず、2人は町民から追放されてしまいます。ウィーンへ舞い戻ったシーレとヴァリーでしたが、下町の子どもたちを誘い込んでモデルにしたり、庭先でのヌードデッサンが問題となり、またもや町を追い出されることに。
写真5:ヴァリーの肖像(1912年)はシーレの代表作「ほおずきの実のある自画像」と対の作品として描かれました。
1912年にはモデルをつとめた少女の告発により誘拐や淫行の疑いで逮捕され、拘留と収監を受けることに。自宅からは大量のひわいな絵が発見されたため、「変態」としてレッテルを貼られることになってしまいました。
やがてウィーンに戻ったシーレは、通路を挟んで向かいの家のエーディトとアデーレ姉妹と知り合い恋仲になります。最終的には妹エーディトと結婚しますが、その後もアデーレと関係を持ち続けました。かつての恋人ヴァリーとも関係を続けようとしますが、ヴァリーは呆れてシーレのもとを去ります。
写真6:「紫色の靴下をはいて座っている女」1917年。モデルは義姉のアデーレ。
長年のパートナーであるヴァリーが去ったとはいえ、エーディトと結婚したことで幸福を感じていたはずのシーレでしたが、不運はきまぐれにやってきます。なんと結婚の3日後に第一次世界大戦が勃発し、幸せな時間も束の間、シーレも招集されることになりました。
しかし、画家として活動していることが軍部に知られると、シーレは第一線ではなく看守にあたるなどの優遇を受け、創作の発想を練る余裕が与えられました。
第一次世界大戦も終わりに近づいた1918年、クリムト主宰の第49回ウィーン分離派展に50点以上の作品を出展すると、作品がかなりの評判となり一躍有名画家に。
作品の評価で名声を手にし、画家としての絶頂期を迎えていたシーレでしたが、妻エーディトが当時大流行していたスペイン風邪にかかり、胎児と共に亡くなります。そんな妻を追うようにして、シーレもスペイン風邪により妻の死から3日後に息を引き取りました。
写真7:座っているエディト・シーレ(1915年)。シーレが初めて妻を描いた作品。
強烈な個性、鮮烈な作風、だらしない恋愛、幸福の絶頂と急落…。
28年の人生で語られるにはあまりにも濃密な一生だったと言えるでしょう。結婚の3日後に徴兵され、妻の死から3日後にこの世を去った天才画家は、波乱の人生を送っていたのです。
写真8:家族(うずくまる一組の男女)1918年。シーレが亡くなった年に描いた未完成作品。妻の妊娠を知ってから子どもの姿を書き加えた。
シーレの作品は人々の目を引くものがあります。意図的に捻じ曲げられたような輪郭、「性」をひけらかすような大胆な構図、表現性豊かな線描、不気味な色彩…。
写真9:「裸婦」(左)、「意地悪な女(ゲリトルーデ・シーレ)」(右)。いずれも1910年の作品
シーレはどんな想いで作品を描いていたのか。彼の人生から考えてみます。
シーレは言いました。「いつの時代でも、芸術家はみずからの人生の断片を表現する。新しい時代はいつでも、それぞれの芸術家独自のさまざまな経験によってはじまるのだ」。彼によれば、芸術家はまず自分自身に目を向けなければならないのです。美術アカデミーに愛想を尽かしたことにも納得できる価値観ですね。
シーレはまず自分自身の体についてよく観察し、自画像を描くことから始めました。関節を突き出したような骨張った輪郭が強調され、肌はシワや隆起だらけ、腰や肩は鋭角や直角で表現され、髪の毛は逆立っています。これがシーレによる自分自身の体をイメージとして膨らませた結果なのでしょう。
左:写真10 「首を傾けた自画像」1912年、 右:写真11 「自画像」1911年
シーレと言えば、「性的な絵」を思い浮かべる方も多いと思います。やがてシーレはヴァリーや少女たちをモデルに、女性の裸体を描くようになります。確かに彼の作品にはヌード絵が多くエロティックではあるものの、どこか冷たさを感じるものでした。
実際、モデルをつとめた経験のある女性はシーレについて「彼のためにポーズをとるのは、ぜんぜん気持ちがよくない。彼はものを見るようにしかモデルを見ないから」と述べています。いずれの作品も妖艶さは感じられず、魅惑的な構図でもありません。「性的で人の目を引くもの」ではなく「剥き出しの性を描く」ことに注力していたのではないでしょうか。
また、先述したようにシーレは少女の誘拐・淫行の疑いで逮捕されていますが、それが本当に少女愛好の趣味によるものなのか、単に芸術を追求していただけなのかは、今となっては分かりません。
自画像や性的な絵のほかにも、シーレは他人の肖像画や男性の裸体、叙情的な静物画など、あらゆるジャンルの創作を続け、レオポルド美術館を中心に数百点の作品が残されています。
左から写真12:「画家カール・ザコヴゼクの肖像」1910年、写真13:「モルダウ河畔のクルマウ」1913年、写真14:「吹き荒れる風の中の秋の木」1912年
シーレは他の画家の影響を受けて創作意欲を燃やしていたことでも知られています。
特にウィーン画壇の帝王的存在だったクリムトは、憧れと目標の対象としていたようです。2人には30歳近い年齢差がありますが、師弟の関係となってからは非常に可愛がってもらっていました。
シーレはクリムトへの憧れからか、クリムトの作品を焼き直した作品を芸術展にいくつも出品し、まったく注目されなかった過去もあります。それほどクリムトに強い憧れを抱いていたようですね。
フランス印象派の絵画展をクリムトが主宰した際には、
・フィンセント・ファン・ゴッホ
・エドヴァルド・ムンク
・ヤン・トーロップ
彼らの作品に大きな影響を受けたといいます。
写真15:クリムトの描いたひまわり(左頁上)、シーレの描いたひまわり(右頁)
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夭折の天才 エゴン・シーレについて紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。
気になった方は、東京都美術館での展覧会へ足を運んだり、当店で図録を購入するなどして彼の作品を眺めてみましょう。
シーレの鮮烈な作品たちは、きっとあなたの刺激となるはずです。言葉にし難い不気味さや、「見てはいけないものを見てしまった気がする…」なんて感想を抱くこともあるかもしれません。
この機会にぜひエゴン・シーレの世界に浸ってみてください。
記事中写真の出典
写真1・2・3・6・7・8・9・15「SCHIELE シーレ TASCHEN」
写真4 「図録 クリムト 1900年ウィーンの美神展」
写真5・10・13・14「図録 レオポルド・コレクション ウィーン世紀末展」
写真11「図録 クリムト、シーレ ウィーン世紀末展」
写真12「図録 エゴン・シーレとウィーン世紀末」
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